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俳句でおしゃべり-都市ー 「都市」での活動や俳句に繋がる文章や会員のエッセイ等の語り場にしていきたいと思います。

満里さんによる、青さんの第一句集「恭」の句集評です。

  穏やかなる詩情『恭(かたじけな)』(北杜青著)   大木満里

 北杜青さんが第一句集『恭(かたじけな)』を上梓された。
句集の全句を一読した後、読みかえした印象的な文章がある。
2014年6月号「都市」誌上「俳句は人生だー福永耕二小論」に於いて
「(前略)特別な才能がなくても、全国を放浪しなくても、俳句という表現形式を
人生の等価のものとして愛し、日々誠実に生きることによって俳句形式からの
恩寵を受けることができるかもしれないと感じたのです。」と書いている。

 俳句形式からの「恩寵」とは何か。それは、作者の生きる糧に、
喜びにつながるものである。それは、また俳句を身の内に取り入れて生きる、
厳しさでもある。

 それ故、北杜さんは、真摯に誠実に、俳句に取り組まれてきたのだろう。
今回、上梓された句集『恭』には、全編に、作者のその俳句に対する姿勢が
投影されており、句に結実している。

    春寒や人魚のもてる玻璃の胸

    裏口にコック憩へる桜かな

    氷旗古墳の風に吹かれをり

                                    古墳


    一八の風がむらさきとくやうに

    朝顔の藍にはじまる木曾路かな

              asagao.jpg


    秋嶺や小窓に見ゆる厨ごと

    林道の枯葉に韻を踏むごとし

    影ふみに春着の影の加はりぬ



 四季・春夏秋冬から以上の二句ずつ八句を選んだ。
他に取り上げるべき佳句は多々ありながらも、あえて平易な表現の句を選んだのは、
ありふれた日々の営みに向き合い、写生し、句を紡ぎだす、作者の作句の原点を、
そこに見たからである。

 一句目、春寒とガラス細工の人魚の胸の取り合わせのひんやりとしたエロスの、手触り。

 二句、三句目、さりげない日常を掬い上げ軽やかに詠む手堅さ。

 四句目、下五「とくやうに」の表現により一八のむらさきの色が際立つ効果。

 五句目、「朝顔の藍に始まる」の切り取りのうまさ。これにより木曾路の
 澄んだ美しい景がはっきり見えてくる。

 六句目、秋の彩りの嶺を背景に、山荘かもしれない。
 家族の料理するはしゃいだ姿をそっとのぞき見て、幸せを感じている作者。
 すがすがしい句である。

                                               秋


 七句目、作者は、枯葉を韻を踏むようにひとり楽しんでいる。
 その乾いた音までもが聞こえてくるようだ。
 
 八句目、お正月の子供たちの影ふみ。春着の影でわかる。見つめる作者の
 やさしい眼差しが印象的である。

 気負いのない句作りに、穏やかな詩情が生まれているのは、確かな観察の眼が
あるからであり、それが確かな描写となって句に昇華しているのである。
この句集の題名『恭(かたじけな)』は、「身にすぎた恩恵」と感じている作者の、
俳句の表現形式と、それを取り巻く人たちへの感謝の念のように思えてくるのだ。
それが、静かに沁みとおるように、伝わってくる句集である。



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10月の吟行記です。

    10月ぼうさいの丘公園吟行    坂本遊美

ぼうさいの丘公園は初めてだった。
本厚木駅からバスで農大前の終点で降りる。
眼下に里山の家や畑が秋の日差しに輝いている。
その奥に連山があり大山の樹々がはっきり見える。
見晴らしのいい高台は、気持ちがいい。

先生の「今日は、子供や若い人を観察して作りましょう」
「6句出し。10句以上作る事」の目標を胸に歩き出した。
6月の等々力渓谷吟行では、「切れ端でもいいから材料を
沢山集めましょう」が、今日は10句以上となっている。
心が動いたものは、その場で句にする様にしよう。

「野鳥の池」に鳥の姿はないが、自然の儘の池と湿地の草原に
趣があり、その周りの森林や畑道も鄙びていて句材は豊富だ。
「子供広場」では子供達が様々遊んでいるが、類想句に注意だ。

吟行当番の「農大は守衛さんに挨拶すれば入れます。
馬柵があります」の言葉に、馬場を目指す。馬場は校舎の外れの
林の中にあり馬が三頭いた。暫く見ていると、女学生が一頭の馬を
ホースの水とブラシで洗い始めた。
思わぬ光景に、全神経が惹きつけられる。
集中して夢中で浮かんでくる言葉を句帳に書きつける。

句会が終わって。始発のバスに乗って発車を待っていた。                
火ともし頃の眼下の家の灯りは、温かく人を待っているようだ。
山は屛風のごとく暗い影絵となっている
まだ蒼さを残した空は茜色と黒雲が刻々と変わっていく。
イベント係がさっき迄一泊吟行の話をしていたのに、
今は新年会の相談をしている。
秋の夕暮に、和やかな「都市」の仲間と居る幸せを感じていた。

   当日の中西夕紀先生の四句

                               空


     連山の奥嶺隠さず雲の秋

     耳元の翅音払へり水の秋

     蒲の穂や彼の世より出で鯉泳ぐ 
  
                 赤とんぼ
 

     柔らかにでんぐり返る子に蜻蛉

凜さん、新年会ではお会いできなくて、残念でした!!

              都市の1句 (38)              木村 風子


           面取れば少女に戻る若葉風     鈴木凜


                  葉

私たちの世代では女子が剣道をするということは考えられなかった。
テレビの時代劇から得たあやふやな知識だが、奥方や侍女が
賊と戦う武器は刀ではなく薙刀だったようだ。

戦後男女平等になり、さらに平成20年から中学校保健体育で男女とも
武道・ダンスが必修となった。そこで多くの学校で男女生徒に剣道を
教えるようになった。剣道は柔道についで多くの生徒が学ぶ武道だそうだ。

剣道をかじった事のある男性諸氏に聞くと、重い防具(面、小手、胴、垂)を
付けて竹刀を振り回すのはとても暑いらしい。ちょっと気を抜くと竹刀で
パッシとやられる、痛くはないが大きな音がしてヤラレタと思うらしい。

防具をつけて竹刀を構えている生徒をみても、男子か女子か判別できない。
鈴木凜さんの俳句には、面をはずした瞬間の少女が見事に描写されている。

                       h葉

ところで私は平成29年4月広報まちだで知った「歩み句会」に入会し、
凜さんの俳句と出会った。「歩み句会」は先生方から俳句の基本や
会員持ち寄りの俳句ひとつひとつに丁寧なご指導を頂き、
会員も鑑賞や感想などを和気あいあいと語りあう。

凜さんは俳句だけの参加だが存在感がとても大きく、ご主人はじめ周りの方々への
深い愛情や感謝を込めた俳句にはいつも心温まる。
そして今年の初句会には、念願がかない凜さんご本人と初めて
お会いすることができた。それぞれに自己紹介するのも束の間、
ずっと以前からの句友として大いに話が弾んだ。

凜さん、これからも素敵な俳句をたくさん作ってください。
                                

現代俳句勉強会で、詳しく芥川龍之介を論じてくださった、聖羅さんによる1句鑑賞です。

    芥川龍之介 一句             田中 聖羅

          蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな

東京が寒波に沈んだ日、銀座の「カフェーパウリスタ」で一杯の
ブラジルコーヒーを味わった。コーヒー好きな芥川龍之介が菊池寛と
よく待ち合わせをしたという店である。
「寒さかな」、「寒波来る」等々、季語を頭によぎらせていて、ふと、
芥川の夏の一句が、思い返された。

                 RIMG0012.jpg
      

大正7年8月の「ホトトギス」雑詠欄の巻頭頁の二人目に
鉄条〔ぜんまい〕に似て蝶の舌暑さかな   鎌倉 我鬼
が掲載されると、たちまち、飯田蛇笏が、「無名の俳人によって力作
さるる逸品」と称賛した。このとき、蛇笏は、「鎌倉 我鬼」が芥川
とはまだ知らなかったのである。このことが縁となり、芥川と蛇笏の
交流が生まれた。この句は後に、
蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな
と改められた。

一方、大正6年に第1詩集『月に吠える』を刊行した萩原朔太郎の
この句への評価は、手厳しいものであった。
「この句は、ゼンマイに似ているといふ目付け所が山であり、比喩の
奇警にして観察の細かいところに作者の味噌があるのだろうが、結果
はそれだけの機智であって、本質的に何の俳味も詩情もない、単なる
才気だけの作品である・・・」と決め付けた。

あこがれの朔太郎ではあるが、小説家の俳句をなかなか認めようとし
なかった嫌いがある。蝶の舌をゼンマイに喩えたことを、単に才気だ
けの機智と捉えたのだろうが、しかし、しかしである。
この句には、「暑さかな」という大きな季語があることを、朔太郎は
見逃したのではないだろうか。暑さにあえぎながら生き抜こうと必死
の蝶の舌なのである。芥川自身が、「暑さ」に非常に弱かったことが
わかっている。

                           123.jpg


時代の流れもあり、近頃は「季語」に関しいろいろな動きがあるよう
である。結局、店では何もひらめかず凍てた街へ出た。一句での語彙
や内容を包み込む季語の大きさや、深さを肝に銘じたい・・というより
肝に感じたいと思いながら・・・。

「春野」の同人関山恵一氏が、主宰の句を鑑賞してくださいました!!

      「都市」六月号  中西夕紀作品鑑賞  

                      「春野」同人  関山 恵一

    花替えて山の湿りの花御堂
 
 灌仏会に花で飾った小さな御堂に釈尊を安置する花御堂、
飾った花が時間がたってややしおれて来たので、新しい花に替える.
御堂の背負う山から湿った風が下りてくる。「湿り」は作者の釈尊への
しっとりとした気持ちの表れとも伺える。

               IMG_0299.jpg


   花まつり異国の僧の膚見せて
 
 これも灌仏会での句。
最近は日本の寺で修行するタイ・インドなどからの僧侶が増えてきている。
僧衣からはみ出す肌の色が美しい僧侶、おそらくそうした異国からの
修行僧であろう。いかにも健康そうな褐色の肌が艶っぽい。
思わず見入ってしまう作者。

    思ひの去ればまた囀りの日の光  
 
 悩みかも知れない、何となく心に引っかかるものをを抱えた作者。
それが何かのきっかけでふっと消えた時、それまで気付かなかった
囀りが耳に入ってくる。こんなに激しく囀っていたのか・・と
われに返った気がする作者。

        DSCF6865.jpg



    雨の竹つかめば山の霞みをり 
 
 鎌倉の竹の寺かもしれない。訪れた時降っていた雨もあがり、
明るくなってきた。「春もすっかり深まったなあ」手近にある竹を掴んで
見上げる向こうの山は霞がかかって翠黛に。ハッとするほど美しい景にしばし佇む作者。

     わが修羅をわれの貪る朝寝かな

  美しい作者の裡にある修羅とはどんなものであろうかと気になる。
やはり五七五と詩と格闘していたのであろう。夜遅くまで句作に励み、
格闘していた作者の朝はひどく眠い、「貪る」の措辞に格闘のすさまじさと、
疲れ切って春眠を続ける作者の姿が浮かんでくる。