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俳句でおしゃべり-都市ー 「都市」での活動や俳句に繋がる文章や会員のエッセイ等の語り場にしていきたいと思います。

都市10月号に関山恵一氏(春野)と山中多美子氏(晨.円座)が、感想をお寄せくださっています。

「都市」十月号主宰作品を読む 関山恵一(春野・三田丘の会)    
   
    草涼しむすびの海苔の匂ひたち

           草涼し


 「草涼し」の季語によって真夏の暑さを避けて野原の木陰で
昼食のおにぎりを食べている姿が浮かぶ。今年の暑さは「命にかかわる」
と言われるほどの暑さが続き、高原に吹くやや涼しい風に
おにぎりの海苔の匂いに嬉しさを感じてぃるのであろう。

    幽谷のしづけさ木々に黒揚羽 

 山深いところの渓谷、全く静かで渓を流れる瀬音に暑さを忘れるひと時、
音なく木々に舞う黒揚羽蝶に心洗われる。感性豊かな作者の頭には
また新しい詩が浮かんでいるにちがいない。

    箱庭の家に隣家を作り遺る 

 箱庭は室町時代の茶室で作られ盆景といい、これを眺めて涼味を味わった。
作者も箱庭を作り、出来上がった箱庭の一軒家に何んとなく寂しさを覚え、
隣にもう一軒作った。「もう寂しくないでしょ、お隣と仲良くしてね」
という作者のやさしさが嬉しい句である。

     玉虫の脚畳みをり祈りをり
 

 玉虫は美しい、私が採ってきた玉虫を祖母が箪笥の引き出しの中に入れ
「こうすると着物が増えるの」と言っていたのを思い出す。
「脚畳みをり」とあるので、何処からから翔んできた玉虫が
木の枝でなく、草の上に降りその脚を畳んだのであろう。
その美しい姿が祈っているように感じた作者のやさしさが感じられる。

    もろこしの湯気母が呼ぶ祖母が呼ぶ 

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 作者の若い頃の思い出であろう。庭で茹でているトウモロコシがそろそろゆで上がって
たくさんの湯気を噴き出している。トウモロコシの好きな作者をお母さんが、
おばあちゃんが「ほら、そろそろ茹で上がりますよ」と声をかけてくれる。
幼い頃の作者に対する母の、祖母の愛情が詠まれていて心温まる。


朱雀集、青桐集、都市集より好きな作品  山中多美子
(晨・円座 同人 宇佐美魚目の弟子)
                   

 
    水の上のかげ渉りゆく梅雨の蝶       城中 良
 
   向日葵の面をぐいと起こしけり       吉川わる
 
   おほかたは葉に隠れたる花かぼちや   井手あやし
 
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   サングラス一日胸に下げしまま      砂金 明
 
   浜祭り貝がらぼねのよく動く         石黒和子
 
   糸瓜咲く雨の水輪は巴なし         北杜 青
 
   てんと虫画帳抱へてをんな来る      樋口 冬青
 
    強風に煽られ蝶々窓を打つ        今村はるか
 
    蕗摘んで炊きまた摘んで家籠        岩原真咲      

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早速、7月出版の主宰の句集「くれなゐ」の     1句鑑賞です!!!

        中西夕紀第4句集『くれなゐ』一句鑑賞       森有也

     ばらばらにゐてみんなゐる大花野 中西夕紀
 
        
                 花野
        
 都市のみんなが待ち望んでいた中西夕紀主宰の第4句集が出た。
句集『くれなゐ』を頂いた時、その深みのある「くれなゐ」色の
帯封に掲句を見つけて、たちまちあの高峰高原の花野が思い出された。
 
 句集「あとがき」にもある通り、超結社俳句大会の「こもろ日盛俳句会」の
最終日に行われる「高峰高原吟行」の際に詠まれたものである。
主宰はこの十年、日盛句会の選者として参加されているので、
都市の仲間も同道することが多い。
 
 さて、掲句は「ばらばら」という言葉が花野の広さを表している。
俳句を作ろうとして呻吟する人たちが大きな花野の中に点在しているのである。
そこに「ばらばら」という言葉と反対イメージの「みんなゐる」が置かれたのである。
これは読む人にとっては一瞬裏切られたような感覚に陥る。
しかし、この言葉は読み返せば読み返すほど、人に対するあたたかい愛情を
感じさせる。

                                       木と子

 
 この句が詠まれた現場にいた私たちからみれば、「みんな」は都市の仲間と
思いたい。主宰の弟子たちに対するあたたかい愛情だと理解したい。
しかし、この句が作られた場と関係のない人たちに繰り返し読まれ
鑑賞されていくうちに、「みんな」は「人間みんな」というように
解釈され鑑賞されてゆくに違いない。この句には人に対するあたたかさが
にじみ出ているからである。そうすることによって、この句は人間に対する
愛情に満ちた句として、普遍的価値を持ち始めるに違いない。

                                   蓮

 
 最後に、この短文の価値をおとしめるため、同じ場にいて詠んだ弟子の
一句を紹介する。
      
       一本の木あれば集ふお花畑    有也

            木とはな


主宰ののびのびとした俳句、熱心な指導にもかかわらず、
この不肖の弟子は縮こまった小さな俳句を脱することが出来ない。

主宰の句を、関山恵一さんが鑑賞してくださいました。

文字色 「都市」四月号 主宰句鑑賞    関山恵一(春野同人)
   
   鯛焼に唇焼いて六区街


年末の風物詩浅草の「羽子板市」を訪れたのであろう。
人で賑わう六区を歩き小腹の空いた作者、鯛焼の香に誘われ
購入し、ぱくりと嚙んだ鯛焼の熱さに唇を焼いてしまった。
それもご愛敬、歴史ある下町の年末風景に詩心が広がったに
違いない。さりげなく「唇焼いて」の措辞が広がってゆく。

着物



   大奥のごと羽子板の姫並ぶ 

前の句と同じ、浅草寺納の観音、羽子板市。
キーホルダー用の小さなものから特大羽子板まで数百の
羽子板がならび、外国の方も含めて大勢の観光客が集まる
.新型コロナウイルスでなくてよかった。
作者の目についたのは、歌舞伎の人気役者の美しい女形の羽子板であった。
「邪気を跳ね返す板」として江戸時代から続いている「羽子板市」で
作者は何を思い浮かべていたのであろう。

   木の中のわづかを速し寒の鳥
 
葉を落として枯木となった林、鬱蒼と繁っていたころと違って隙間だらけの枯木林。
でも、林は林隙間こそあるが真っすぐに抜けることは出来ない。
僅かな隙間を縫って飛んで行く冬の鳥
「よくぶつからずにそれもかなりの速さで抜けていく姿に
おどろき、また感動している作者の顔が見える。

   球ひとつ犬に預けて枯野かな 

仕事が一段落して、犬の散歩に原っぱに出かけた作者。
広い枯野でゆっくり物を考えたいのだが、犬はまとわりついて
離れない、そこで犬の大好きな毬を投げてやる。犬はその毬に
飛びつき、咥えたり転がしたりして遊び始める。
「さ、ゆっくり句作でもしようかな・・」という作者の頬笑みが見える。

鳩

   

  春寒の色のひとつに鳩の首 

立春と言えどもまだ寒い。花がなくなって周囲から色が
消えてゆく。そんな中でも、黄色に輝く石蕗の花、山茶花、
冬椿と冬の色もないことはない。
キジバトの首の下に黒と赤褐色のうろこ状の模様がある。
デデッポーと鳴く哀愁を帯びた鳴き声は春寒にぴったりである。

新年おめでとうございます!!              春野同人の関山さんによる主宰の俳句の鑑賞です。

       中西夕紀作品「都市」八月号より 
                        関山恵一(春野同人)

   
        秋江の船を消したる煙かな
 
「秋江」をどのように解釈したら良いか迷いましたが、そのまま秋の湾と思いました。
「煙」も霧と解釈しました。晴れわたった秋の一湾をゆく白い船を眺めて
ロマンに浸っていた作者、出始めた秋特有の霧に白い船もあっという間に消えてしまった。
広がる夢を一瞬で奪われた作者の気持ちが表れている。
 
                            煙


        とんぼうに指あそばせて自閉の子 

自閉症でいつも一人で時を過ごしている子、今日も独り川邉に佇み、
水を眺めているその子の指に蜻蛉が止まった。
思わず嬉しくなって蜻蛉の止まった指をくるくると回すと
蜻蛉はパッと離れてゆくが、またその指目指して飛んでくる。
蜻蛉が遊んでいるのではなく、指を遊ばせているとしたところが秀逸。

        湯に浸かるごとくにしゃがみ稲穂波 

一面に良く育った稲穂。その田に入って行く作者、
実った稲の香りにたけなわの秋を感じる。
わずかな風で波打つ稲の中にしゃがみ込むと、
あたかもお湯に浸かるように感じる。
稲の香りに包まれて豊かな気持ちの作者が見えてくる。

        石叩牛の背骨を歩きをる 

黄鶺鴒のように派手でなく、どこにでもいる白と黒の白セキレイ、
磧の石をちょんちょんと器用に飛んでゆく姿が何とも愛らしい。
その鶺鴒が牛の背に乗ってちょんちょんんと跳んでいる。
牛の背中に何か食べ物でもあるのか、茶色の牛の背と
白セキレイの取り合わせが面白い。

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        走り根に座れば秋の蝶ふたつ 

森を散策している作者、太い走り根に座って一息つき、
目を閉じて秋の声を聴いている。鳥の声、虫の声、風の音・・。
ふっと目を開けると二匹の蝶が目の前を通り過ぎてゆく。
心なしかゆっくり、弱弱しく飛ぶ蝶に深まりゆく秋の中の自分を
重ねているのかもしれない。まだまだ頑張らねば。

今回も関山さんが、主宰の句を読み解いてくださいました!!


中西夕紀の句鑑賞  「都市」六月号より  
              
関山恵一(春野・丘の風 所属)
  
 
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涅槃図の中に潜める絵師の顔 

ほとんどの寺院に掲げられている涅槃図。
涅槃図には多くの菩薩や弟子、善男善女、動物などが描かれているが、
数多くの涅槃図の中にはもしかしたらそれを描いた絵氏が
ひそかに自分の顔を入れているのもあるかもしれない。
この句の作者の想像か、あるいはそうした涅槃図を実際に見たのかもしれない。
非常に面白い着想だと思います。

    紅梅に廃寺は墓を残しけり
 
廃寺は廃止された仏教寺院であるが、跡形もなくなっているもの、
無住寺となってなお存続している寺もある。いずれにしても、
仏教活動はされていないが、墓だけは残っている。供養する僧はいないが、
墓の所有者はしかるべき日には供花を持ってい浮くのであろう。
ぽつりと供花のある墓の横には紅梅が咲いている。
さりげない景に無常を感じる作者のやさしさ。

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鎌倉の砂付いて来し干若布 

鎌倉には材木座をはじめとして、五つの海岸がある。
そこでは春先に若布を採り、湯がいて浜に干し、風に当てる。
地元で買ってきた若布に少し砂がついている。風にあおられた砂が
ついていたのであろう。春先の鎌倉の海岸に並ぶ干し若布の景が浮かんで、
若布の香りまで匂ってくる。

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九体仏おはす明りや春障子 

京都の浄瑠璃寺の九体仏が有名であるが、東京在住の作者は世田谷奥沢の
九品仏浄真寺であろう。三つの堂にそれぞれ三体ずつ安置されている。
ここには三十三観音、閻魔、奪衣婆、六地蔵があり見どころが沢山ある。
作者が訪れた九体の納められたお堂に灯が点り、それが春障子に透けて見えたのでしょう。
春の優雅なひと時。 〈これは浄瑠璃寺で作った句です。作者註〉

    切株に座れば斜め鳥帰る 

山を散策すると、間引きするために切られた大きな木の切り株に出会う。
ちょっとした斜面の切り株はたいていやや斜めに切られている。
一休みのため座った切り株もやや斜めであったのでしょう。
一息ついて風の音、鳥の声に耳を傾けていると木々の間の空に
北に帰ってゆく鳥が見える。一抹のさびしさを感じる句です。