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俳句でおしゃべり-都市ー

「都市」での活動や俳句に繋がる文章や会員のエッセイ等の語り場にしていきたいと思います。

都市の1句です。新人ライターが続きます。

Posted by レオフェイ on   0  0

           都市の1句(47)

                        中尾文月


      磨かれし下乗の石や秋日影        木村風子 

この句をなぜ選ばせて頂いたかというと、「下乗の石」に
目が留まったからだと思っています。
「下乗の石」があるのだから、由緒ある社寺であろう……、
と直接句の感想を述べるべきかもしれませんが、
ここでは作者の人柄についても触れていきたいと思います。
作者の木村風子さんとは、二度吟行を共にしたことがあります。

                   ギボシ


その時、先生方が教えてくださることはもちろん、
先輩の方々の木々や花の説明を一言一句漏らさぬようにメモし、
自分のものにしようとされていた姿が印象に残っています。
対象となるものへのしっかりとした観察や知識を下敷きにして
句を作られる方なのだと感じました。

この句もおそらくはまず石に目を留められ、その何であるかを
調べられ、この句を作られたと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、「下乗の石」の「下乗」は
社寺などの境内でその場所以内は車馬の乗り入れを禁ずるところです。
そこに石を置いてあることからこれは貴人への対応だと思われます。

                         山門


また、「磨かれし」とあるのですから今でも大切にされていることも
感じられます。とは言え、華やかな社殿ではなく「石」に注目された
人柄に心惹かれました。
平素は感性鋭く迸るような勢いを持つ句に目を奪われがちな
私ではありますが、感性の点と点をつないでいくタイプの人にはない、
きちんとした広さを持つ面を作って後に少しずつ前進される風子さんを
素晴らしいと感じています。

私は彼女が後退することの少ない句作りをされてゆくことをとても
うれしく楽しみに思っています。
僭越ながらこれからの彼女の句に期待をしております。


                                  

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新人の詩江奈さんによる、都市の一句です。

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                都市の一句(45)
                 茂呂詩江奈

         秋霜や昔小町のよだれ拭く     中尾文月


この句は句会で絶賛された句である。 
綺麗ごとでは済まされない「現実」をドーンとぶつけられた思いがする。
「小町」という言葉と「よだれ」という言葉の並列にドキッとさせられる。
何か見てはいけないもの、聞いてはいけないものを目の前に
突きつけられた感じがある。 

                      小野小町


作者の中尾文月さんは10年ほど前にお母様を亡くされた。 
この句はそのお母様を詠んだ句である。 お母様は評判の美人であった。 
そのお母様をこういう形で詠めるようになるまでには
多くの時間が必要であったと思う。 ご本人も「やっと今になって
母のことが詠める」とおっしゃっている。 お母様に対する深い愛と
それ以外にも、少し複雑な気持ちがあるのかも知れない。

年を取るということは残酷なものだ。 自分では制御できない部分で
“負”の重荷が降りかかってくる。 そして、自分にはそれが起こらないという保証は
どこにもない。 その負の重荷と、以前の状態の差が大きければ
大きいほど、周りの家族は衝撃を受け、苦しむことになる。 

            トンネル


文月さんと私は「あゆみ句会」の同期入会者である。 
同期であるということで、親しくお話をする機会を得た。 
彼女はとても優しく、思いやりのある人なのでその悲しみと
苦しみはいかばかりだったかと思う。 その悲しみや苦しみを乗り越えると、
当時の自分を客観視することが出来るのではないだろうか。

「昔小町」という言葉は彼女の創作である。 “負”の重荷を担う前のお母様をどう表現しようかと、
色々考えた末に出てきた言葉だと伺っている。
語彙力の豊富な彼女だからこそ出来た言葉に違いない。 リズムもとても良い言葉だと思う。 
また、文月さんの発想は私にはとても良い刺激になる。 
都市の12月号の彼女の句の中に「漫ろ神」という言葉があった。 
一体誰がそんな言葉を思いつくのだろうか。 そんな彼女の発想を
私は好きだし、今後も彼女から学ぶことがとても多いと思っている。

露山さんが、新人の句を講評してくださいました!!

Posted by レオフェイ on   0  0

都市の一句(45) 金野 露山

夏草や腰を痛めて負戦  茂呂詩江奈


作者の顔が浮かぶ場合は書きやすいかもしれないが、遠慮がちになる。
逆の場合、プレッシャーはないものの、的外れになる危険がつきまとう。

作者は未知の人であることをお断りしておく。掲句は都市8月号から引いた。
最初は3句目の〈稲妻を借りてやうやう適ふ恋〉に食指が動いたが、
ご本人を知らずして書くのは無理があるため断念した。

zassou.jpg


「夏草」と言えば、芭蕉の〈夏草や兵共がゆめの跡〉が何といっても“鉄板ネタ”だろう。
当方など〈夏草や〉の措辞を使いたくとも端から腰が引けてしまうが、
同じ土俵で勝負しようという掲句は心意気がいい。

キラキラ


黙々と庭の草取りをしていたが、乾き切った地面にしっかり根を張った
夏の雑草にてこずり、とうとう投げ出してしまった。句意は平易だ。
立ったり座ったり、慣れない仕事で腰はパンパンに張った。
忌々しい限りだがギブアップせざるを得ない。
下5の「負戦」で諧謔味が増幅された。

ざっそう2


詩江奈という名前は都市6月号以前にないからニューフェイスとお見受けした。
〈稲妻を借りてやうやう適ふ恋〉には、橋本多佳子の〈雄鹿の前吾もあらあらしき息す〉や、
桂信子の〈ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜〉に通じるものがある。
ひょっとしたら〈夏草や〉は芭蕉のパロディーなのでは、とも思ってしまう。
現在の「都市」会員には見られない作風にこれからも注目していきたい。

風林さんが、面白い句を取り上げています。

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        都市の一句(44)         安藤 風林
      

   四時限目生徒ともども目借時      金野 露山

楽しい句である。作者は学校の教師である。四時限目だからおそらく午後一番の授業だろう。
生徒たちは中学生か高校生だろうか。ちょうど育ち盛りで血気盛んな時である。
お昼の弁当を食べ校庭で球技など運動をやって軽い疲れがあるのだろう。
授業が始まり机に座ればもうたまったものではない。生理現象として
どう抵抗しても瞼が下りてくる。ましてあまり好きでない科目であればなおさらである。
もう一つは教師の声質やしゃべり方にもよる。まるで子守歌なのだ。

                DSCF5929.jpg
      

この句で面白いのは中七の「生徒ともども」というところである。
教師がしゃべって生徒が眠くなっているのかと思えば、講義している教師にも眠気が
移ってきたのだ。教室全体が居眠りの神様に支配されているのだ。
季語の「目借時」の俳諧味の意味が見事に描かれている。
そして教師は生徒たちから家族と違った意味の信頼があるのでしょう。
ほのぼのとした温かさが伝わってきます。

                             IMG_7988.jpg


作者は自分の職業を通して日々の出来事を俳句に詠む素晴らしさを楽しんでいるに違いない。
なお、私の高校時代は60年以上も前になるが、やはりこのような光景はよくあった。
昼一番が漢文の授業でお寺の住職が教師として講義していたことを思い出した。

久しぶりに燐さんが書いています!

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              都市の1句(43)
                         本多燐
      
     枯木道行き着くところ版画展      安藤風林 

 この枯木道は真っすぐなのか曲がりくねっているのか、いずれにしろ
距離があることを想起させるのは、行き着くところという表現による。
そして行き着くところにある版画展が銅版画、例えばエッチングのいろいろの黒を使った
小品の展観を想起させるのは、冒頭の枯木という季語による。
そしてその枯木道の全く枯を極めた大樹が細かい無数の枝々を空に向って広げる姿は、
銅版画に刻み込まれた美しい線の数々を想起することで、互いにイメージを増幅させている。

                                    DSCF4225.jpg


また行き着くところという表現には、枯木道の枯木の姿に至る季節の移ろいやその高さ、
銅版画の線描が刻みこまれ腐蝕される緻密な工程とその深さ、
そして作者自身の歩んできた道のりの時間と空間が暗示されている。

 十七文字を棒のように上から下へスッキリと読み切らせる切れ味も俳句の
魅力だが、たった十七文字を行ったり来たりしながら、それらの言葉の持つ
イメージを重ね合わせていくのもまた俳句の魅力である。ただ前者にしろ
後者にしろ言葉をゴテゴテと飾り立てていては、それは叶わない。

                                       DSCF1299.jpg


 安藤風林さんの句は日頃から句柄がさっぱりとしていて、特にその素軽い
俳味はこの頃では得がたい古風なものと思っていたが、今回あらためて
風林さんの句を味わうと、俳味というよりむしろモダンなアレゴリー=寓意を
嫌味なく表現することに長けた俳人であることがわかり、
ますます私のお気に入りの作家となったのであった。

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