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俳句でおしゃべり-都市ー

「都市」での活動や俳句に繋がる文章や会員のエッセイ等の語り場にしていきたいと思います。

現代俳句勉強会で秋櫻子を担当してくださった、有也さんのブログです。

Posted by レオフェイ on   0  0

           秋櫻子の大和
                                  森 有也

     
      百濟観音
     春惜むおんすがたこそとこしなへ

     伎藝天
     藤咲けば眉の匂ひて見えたまふ

     天燈鬼
     人が焼く天の山火を奪うもの

     橘夫人之念持佛
     行春やたゞ照り給ふ厨子の中 



 これらの句は第一句集『葛飾』の最後に載せられた
「連作・古き藝術を詠む」の一部である。
秋櫻子は東大医学部に入学した頃から本格的に俳句に
のめり込んで虚子に師事している。
 
秋櫻子はその頃読んだ和辻哲郎の『古寺巡礼』に感動し、
昭和2年虚子や俳句仲間に京都に誘われた折、
一人大和を尋ねたのであった。

それから2年後にも山城、大和を訪ねて当麻寺などを
吟行している。結局、秋櫻子は生涯17回にも渡って
大和の寺々を訪ねているのである。
これらの句には、万葉集や短歌の調べが根底にある。

                      IMG_7989.jpg
   
 
同時に収録した「筑波山縁起」には「わだなかや鵜の鳥群るゝ島二つ」
のような句があり、この頃から、秋櫻子自身調べに頼るあまり
自分の心が浮いた状態で、句にもそれが現れていることに気付いている。
 
連作についても窪田空穂に短歌の連作を学んだもので、
山口誓子とともにその普及に努めた。
しかし後年、連作の弊害である「季語の軽視」や「
複数句の構成による各句のもたれ合いの結果、
一句の独立性の欠如」に気づき、提唱者みずから
取り下げる結果となった。
 
秋櫻子には長い俳句上の沈潜期があると一般的に指摘されている。
そこには戦争による影響、とくに宮内省侍医療掛として
皇室に親しく接した中で終戦を迎えた時の価値観の逆転など、
一般の人とは違った煩悶があったに違いない。

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しかしながら、生涯に渡って21の句集をまとめ上げた
俳句への執念には、冒頭に述べたように常に自分の俳句への反省と、
俳句を文学として芸術全般を身につけて行った姿勢が
根底にあったものと推察するのである。

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