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俳句でおしゃべり-都市ー

「都市」での活動や俳句に繋がる文章や会員のエッセイ等の語り場にしていきたいと思います。

現代俳句勉強会には、平日なので不参加のわるさんが、後藤比奈夫の句を鑑賞しています。

Posted by レオフェイ on   0  0

        後藤比奈夫の俳句
                      吉川わる

      雨の中訪ね來し家の水中花  

DSCF5518.jpg

最近心がけているのは、助走のない句である。
と言ってもわかりにくいが、前提とか条件のない句のことだ。
前提があると作為的になってしまうように思え、また、一句の情報量も多くなる。
掲句で言うと「雨の中」が前提であり、「○の中」というと説明っぽくなるはずだが、
この句に限っては気にならない。
「雨だれや訪ね來し家の水中花」と直してしまうと切れが良すぎる感じがする。
掲句のリズムはくせになるのだ。
 
後藤比奈夫(敬称略。以下同じ)の第一句集『初心』には、
上五が「や」で切れる句は数えるほどもなく、句中に切れのある句自体が少ない。
それでもこの句が緩くならないのは、イ段の連続により発音しにくい“kisi”( 來し)
という二音が“yano”( 家の)という素直な二音につながることにより強い
アクセントが生まれ、それを体言がしっかりと受け止めているからだ。

『初心』からもう一句挙げてみる。
  
      お水取見て來し睡き人とをり 

RIMG0045.jpg


この句も中七の“mite・kisi・nemuki”( 見て來し睡き)に
ホップ、ステップ、ジャンプのようなアクセントがあり、
しかも「睡き」には意味上の飛躍もある。連体形がイ段となる文語の効果に
よるもので、「お水取見て来た睡い人といて」では俳句にならない。

 最後に「雨の中」の句について内容の鑑賞もしてみよう。
雨の中を訪ねた家は、昭和二十年代後半であり、鉄筋コンクリートではなかろう。
家の外も内も雨の季節なのである。「いきいきと死んでゐるなり水中花」と
詠んだのは櫂未知子だが、掲句の水中花はいきいきとはしていない。
しかし生きている。潜めても呼吸を止めないのだ。

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