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「菜園」という俳号の謂れが分かりました!!
2012/ 11/ 27 「汗駄句」さいえん日記 (啓蟄~夏至編)
金子菜園
今になって振り返ってみると、初めて農作業らしい事をしたのは、
60年ほど前に父に連れられて、嫌々行った「麦踏み」を思い出す。
現在の町田工業高校辺りは、一面、麦とサツマイモ畑の続く
畑作地帯で、初冬ともなると冷たい風の吹き抜けるところであった。
丹 沢 を 遠 く に 父 と 麦 を 踏 み
あれから40年の歳月を経て、亡くなった父に代わり、
庭の隅に猫の額ほどの畑を耕し始めたが、暑さ寒さや肉体労働の
厳しさはあるものの、物を生産する過程や収穫したものを
味わう喜び、或いは、自然や四季を肌で感ずる楽しさを味わっている。
そこで今回は菜園作業の"一コマ"を
春の日差しが降り注ぐ頃になると、冬の間潜っていた
炬燵から漸く出て、鍬を手にする。
そして今年は何処に、何時、何を播く(植える)のかを思案する。
段 取 り に 暫 し 眺 め て 春 の 畑
先ず、冬の間休ませていた畑の除草をし、次に、酸性の土壌を
中和させるため「苦土石灰」を散布後、鍬で土を起こす。
暖かな風が肌に心地よい。
土を起こし始めると、いつの間にか私の2~3メートル後ろを、
ハクセキレイが餌をを拾いながら追ってくる。
ヒトを恐れる事を知らない可愛い小鳥である。
畑 打 つ や 二 羽 の せ き れ い 従 へ て
(”季重なり”お許しを)
さて、今年も晩霜の恐れの少ない春の彼岸の頃に、
ジャガイモの植え付けから始めることにした。
先ず深さ15~20センチ位の畦(さく=溝)を作る。
種芋を二つ切りにし、断面に草木灰を付けた後
35~40センチの間隔で植え付け、
株間に堆肥や化成肥料を施す。(手法は多様)
発芽後、一株毎に2~3本の芽を残して他を摘み取り、
土寄せをする。その後1~2回の土寄せを経た後、
5月下旬~6月上旬頃花を咲かせ、やがて6月下旬頃に
収穫を迎える。
花の色は白色または薄紫色で、小さく可憐な花を咲かせる。
その色は原産地であるアンデス高地の雪か空の色を映していると
勝手に思いこみ、”ここで一句”とばかり鉛筆を持った。
ア ン デ ス の 紫 紺 の 空 か ジャガ の 花
(ウーン、句になってない)
一方、4月上旬から5月上旬にかけては葉物野菜や
インゲン等を播き、里芋(種芋)、トマト、キュウリ、
ナス、ピーマン、ニガウリ等を植え付ける。
またこの頃には、7月下旬に定植して12月から3月頃の間に
食べる長ネギ(深谷ネギなど)の種を苗床に播く。
里芋で思い出したが、句作で大失敗をしたことがある。
里芋の芽が出た嬉しさに、句会へ行くバスの中で一句を思いつき、
そのままストレートに表現し提出。ご丁寧にも季語が三つも入っていたのだ。
「歩み句会」に入って間もない頃のことでした。
里 芋 の 芽 吹 く 大 地 や 夏 隣
(残念、感激をそのまま表現したんだけどなあ)
野菜作りは、どれも皆、収穫するまでには多くの労力を
必要とするが、中でもトマトには手数を掛けていて、
真っ赤な実を付けた時の喜びはひとしおである

そんなトマトも最近は上手くいっているが、
初心者の頃には肥料をやりすぎて”草ぼけ”をおこし、
青い大きな実がついた頃突然立ち枯れしたり、
或いは赤くなった実をカラスに突かれたりと幾度となく
悲しい思いをしている。
近頃は、丘陵地の開発で、山を追われたハクビシンや狸までが
住宅地の畑に出没し、熟れたトマトを食べて行く。
悲しいのは人間だけではない。俺たち獣も同じなのだと。
添 え し 手 に 青 き 匂 ひ や ト マ ト 植 う
(何度も使ってスミマセン)
6月中旬から下旬になると夏野菜の収穫も本格化し、
沢山採れた時は、ご近所に配るのも楽しみの一つだが、
どちらも野菜を作っている人が多く”市場”は
ダブツキ気味の様です。
そんな時には我が家の食卓にも、ナスやキュウリの
”ご馳走”が頻繁に顔を出すので、つい悪い冗談
を言って女房に睨まれます。
そのうちに”スイッチョスイッチョ”(ウマオイムシ)
と鳴くかもねと言って。 ゴメンナサイ。
6月の第3日曜日。父の日がやってきた。
この頃になるとジャガイモや玉葱の収穫も出来、種類も
豊富になるので、我が家を訪れた息子の家族に
土産として持たせることにした。
父 の 日 の 土 産 に 庭 の 野 菜 かな

帰り際に孫娘に一言 「じいじが作ったピーマン食べるんだぞ」。
「わたし、ピーマン大嫌い」
それでも畑仕事は楽しい。青空の下、
一鍬打っては空眺め、もひとつ打っては山を見る。
そして椅子に腰掛け句帳を取り出す。
ああ、いつになったら良い句が浮かんで来るんだろう。
お終い!
駄句の数々失礼しました。
男のお喋りは嫌われます。お後が宜しいようで。
金子菜園
今になって振り返ってみると、初めて農作業らしい事をしたのは、
60年ほど前に父に連れられて、嫌々行った「麦踏み」を思い出す。
現在の町田工業高校辺りは、一面、麦とサツマイモ畑の続く
畑作地帯で、初冬ともなると冷たい風の吹き抜けるところであった。
丹 沢 を 遠 く に 父 と 麦 を 踏 み
あれから40年の歳月を経て、亡くなった父に代わり、
庭の隅に猫の額ほどの畑を耕し始めたが、暑さ寒さや肉体労働の
厳しさはあるものの、物を生産する過程や収穫したものを
味わう喜び、或いは、自然や四季を肌で感ずる楽しさを味わっている。
そこで今回は菜園作業の"一コマ"を
春の日差しが降り注ぐ頃になると、冬の間潜っていた
炬燵から漸く出て、鍬を手にする。
そして今年は何処に、何時、何を播く(植える)のかを思案する。
段 取 り に 暫 し 眺 め て 春 の 畑
先ず、冬の間休ませていた畑の除草をし、次に、酸性の土壌を
中和させるため「苦土石灰」を散布後、鍬で土を起こす。
暖かな風が肌に心地よい。
土を起こし始めると、いつの間にか私の2~3メートル後ろを、
ハクセキレイが餌をを拾いながら追ってくる。
ヒトを恐れる事を知らない可愛い小鳥である。
畑 打 つ や 二 羽 の せ き れ い 従 へ て
(”季重なり”お許しを)
さて、今年も晩霜の恐れの少ない春の彼岸の頃に、
ジャガイモの植え付けから始めることにした。
先ず深さ15~20センチ位の畦(さく=溝)を作る。
種芋を二つ切りにし、断面に草木灰を付けた後
35~40センチの間隔で植え付け、
株間に堆肥や化成肥料を施す。(手法は多様)
発芽後、一株毎に2~3本の芽を残して他を摘み取り、
土寄せをする。その後1~2回の土寄せを経た後、
5月下旬~6月上旬頃花を咲かせ、やがて6月下旬頃に
収穫を迎える。
花の色は白色または薄紫色で、小さく可憐な花を咲かせる。
その色は原産地であるアンデス高地の雪か空の色を映していると
勝手に思いこみ、”ここで一句”とばかり鉛筆を持った。
ア ン デ ス の 紫 紺 の 空 か ジャガ の 花
(ウーン、句になってない)
一方、4月上旬から5月上旬にかけては葉物野菜や
インゲン等を播き、里芋(種芋)、トマト、キュウリ、
ナス、ピーマン、ニガウリ等を植え付ける。
またこの頃には、7月下旬に定植して12月から3月頃の間に
食べる長ネギ(深谷ネギなど)の種を苗床に播く。
里芋で思い出したが、句作で大失敗をしたことがある。
里芋の芽が出た嬉しさに、句会へ行くバスの中で一句を思いつき、
そのままストレートに表現し提出。ご丁寧にも季語が三つも入っていたのだ。
「歩み句会」に入って間もない頃のことでした。
里 芋 の 芽 吹 く 大 地 や 夏 隣
(残念、感激をそのまま表現したんだけどなあ)
野菜作りは、どれも皆、収穫するまでには多くの労力を
必要とするが、中でもトマトには手数を掛けていて、
真っ赤な実を付けた時の喜びはひとしおである

そんなトマトも最近は上手くいっているが、
初心者の頃には肥料をやりすぎて”草ぼけ”をおこし、
青い大きな実がついた頃突然立ち枯れしたり、
或いは赤くなった実をカラスに突かれたりと幾度となく
悲しい思いをしている。
近頃は、丘陵地の開発で、山を追われたハクビシンや狸までが
住宅地の畑に出没し、熟れたトマトを食べて行く。
悲しいのは人間だけではない。俺たち獣も同じなのだと。
添 え し 手 に 青 き 匂 ひ や ト マ ト 植 う
(何度も使ってスミマセン)
6月中旬から下旬になると夏野菜の収穫も本格化し、
沢山採れた時は、ご近所に配るのも楽しみの一つだが、
どちらも野菜を作っている人が多く”市場”は
ダブツキ気味の様です。
そんな時には我が家の食卓にも、ナスやキュウリの
”ご馳走”が頻繁に顔を出すので、つい悪い冗談
を言って女房に睨まれます。
そのうちに”スイッチョスイッチョ”(ウマオイムシ)
と鳴くかもねと言って。 ゴメンナサイ。
6月の第3日曜日。父の日がやってきた。
この頃になるとジャガイモや玉葱の収穫も出来、種類も
豊富になるので、我が家を訪れた息子の家族に
土産として持たせることにした。
父 の 日 の 土 産 に 庭 の 野 菜 かな

帰り際に孫娘に一言 「じいじが作ったピーマン食べるんだぞ」。
「わたし、ピーマン大嫌い」
それでも畑仕事は楽しい。青空の下、
一鍬打っては空眺め、もひとつ打っては山を見る。
そして椅子に腰掛け句帳を取り出す。
ああ、いつになったら良い句が浮かんで来るんだろう。
お終い!
駄句の数々失礼しました。
男のお喋りは嫌われます。お後が宜しいようで。
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