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勉強会で取り上げた「尾崎放哉」の終焉の地、小豆島へ行ってきました。
2013/ 02/ 03 南郷庵詣(尾崎放哉終焉の地)
永井 詩
暗い中、姫路駅から姫路港に向かった。
寒霞渓という紅葉の名所があるにもかかわらず、
小豆島へ向かう船内は、がらがらだ。
海から昇る太陽や旦鹿島(たんがしま)を
眺めながら福田港へ到着。

レンタカーで出発と言いたいが、まずは友人
お勧めの木村食堂でおでんの朝食。
ここのおばちゃんがとてもいい!
「おでんは勝手に取って」
「五本も食べてくれたの、嬉しいわー」とか、
こちらも元気が出てくる。
道は貸切りかと思うほど空いている。
友人達は、俳句とは無縁なので、遠慮をしてまず、
尾崎放哉の終焉の地、南郷庵より先に寒霞渓に行く。
そこは島とは思えぬほどの険しい山があり、
紅葉はなかなか見応えがあった。
オリーブ公園の次、いよいよ、南郷庵へ向かう。
庵のある土庄は島の中心なので車や店の数も多い。
迷路の町といわれる土庄であるが、なんとか
細い路地の先の放哉記念館(南郷庵)に到着できた。

しかし、戸が閉まり、
「担当者は一時間後にもどります」
という貼り紙が…
仕方なく、パチリパチリと写真を撮っていると、
ご婦人が車から降りてきて「頼まれて戸をあけに来た」とおっしゃる。有難い!
庵の中は、八畳、六畳、二畳、土間があり、
手紙、色紙、井泉水・井上一二・杉本玄々子の
写真等が展示されている。

障子をあけて置く海も暮れ切る
放哉はどこから、海を見たのだろうかとウロウロ。
結局、外に出てみても、今はどこからも海が
見えなかった。
焼けて庵は再築されたというが、古い写真そっくりに出来ており、
印象は結構立派で、私もこんな隠居場が欲しいと思ったほど。
この庵の前の松は当時のものだろうか?
船の出発時刻の一五時が迫っているので、
共同墓地へ駈けあがる。
高台の広くなったところに立派な墓が二基。
『えー、あんなに嫌われていたのに。
有名人となったのでこんな大きなお墓に?』と
思いつつ見廻してみると、左手の角にチョコンと
小さな放哉の墓が。このお墓こそ放哉にふさわしい。
「神様、仏様、放哉様、、、」と
放哉にお願いし、友人の元へ走る。
下方に西光寺らしき寺がちらり。
春の山のうしろから烟が出だした
乗船してから、姫路の友人が「いい人を知った、
放哉の本を読んでみる」と言ってくれた。
私が知ったかぶりをして、放哉の話をしながら、
南郷庵の入館券をふと見ると、な、なんと
記念館と資料館共通入館券と書いてあるではないか。
ドジ詩は、資料館(放哉自筆の資料)を見落として
いたのだ。やはり、もう一度、ゆっくりと小豆島を廻らなくてはと思うのだった。
永井 詩
暗い中、姫路駅から姫路港に向かった。
寒霞渓という紅葉の名所があるにもかかわらず、
小豆島へ向かう船内は、がらがらだ。
海から昇る太陽や旦鹿島(たんがしま)を
眺めながら福田港へ到着。

レンタカーで出発と言いたいが、まずは友人
お勧めの木村食堂でおでんの朝食。
ここのおばちゃんがとてもいい!
「おでんは勝手に取って」
「五本も食べてくれたの、嬉しいわー」とか、
こちらも元気が出てくる。
道は貸切りかと思うほど空いている。
友人達は、俳句とは無縁なので、遠慮をしてまず、
尾崎放哉の終焉の地、南郷庵より先に寒霞渓に行く。
そこは島とは思えぬほどの険しい山があり、
紅葉はなかなか見応えがあった。
オリーブ公園の次、いよいよ、南郷庵へ向かう。
庵のある土庄は島の中心なので車や店の数も多い。
迷路の町といわれる土庄であるが、なんとか
細い路地の先の放哉記念館(南郷庵)に到着できた。

しかし、戸が閉まり、
「担当者は一時間後にもどります」
という貼り紙が…
仕方なく、パチリパチリと写真を撮っていると、
ご婦人が車から降りてきて「頼まれて戸をあけに来た」とおっしゃる。有難い!
庵の中は、八畳、六畳、二畳、土間があり、
手紙、色紙、井泉水・井上一二・杉本玄々子の
写真等が展示されている。


障子をあけて置く海も暮れ切る
放哉はどこから、海を見たのだろうかとウロウロ。
結局、外に出てみても、今はどこからも海が
見えなかった。
焼けて庵は再築されたというが、古い写真そっくりに出来ており、
印象は結構立派で、私もこんな隠居場が欲しいと思ったほど。
この庵の前の松は当時のものだろうか?
船の出発時刻の一五時が迫っているので、
共同墓地へ駈けあがる。
高台の広くなったところに立派な墓が二基。
『えー、あんなに嫌われていたのに。
有名人となったのでこんな大きなお墓に?』と
思いつつ見廻してみると、左手の角にチョコンと
小さな放哉の墓が。このお墓こそ放哉にふさわしい。
「神様、仏様、放哉様、、、」と
放哉にお願いし、友人の元へ走る。
下方に西光寺らしき寺がちらり。
春の山のうしろから烟が出だした
乗船してから、姫路の友人が「いい人を知った、
放哉の本を読んでみる」と言ってくれた。
私が知ったかぶりをして、放哉の話をしながら、
南郷庵の入館券をふと見ると、な、なんと
記念館と資料館共通入館券と書いてあるではないか。
ドジ詩は、資料館(放哉自筆の資料)を見落として
いたのだ。やはり、もう一度、ゆっくりと小豆島を廻らなくてはと思うのだった。
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