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子育て俳句を楽しんでいらっしゃる    心さんに 「子育て俳句」ついて語って頂きました。

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   「我が子を詠む」         栗山 心

何故「我が子」を詠むのか。
答えはひとつ、「目の前にいるから」ではないでしょうか。

食事や諸々の段取りを付け、句会に駆けつけ子の帰宅に
合わせて早退。一日がかりの吟行など、滅多なことでは
出来ない日常。

  吾子連れて来し吟行よ初蝶よ   佐久間 彗子

「子連れ吟行」なるものを、経験したことがあります。

小学校高学年の息子と言っても、お昼を食べさせたり、
あれこれ世話を焼いた上、提出する句を見てやったり
するのですから(この時は、息子も投句しました)
いつもの吟行以上に大変でした。
とはいえ、良い思い出にはなりましたが。

  春の風成長痛のひざこぞう        和大 
  花吹雪青く染まるやかくれんぼ      和大

  春深し声変はりして母を呼ぶ       心


そんな、育児と俳句を、切り離して考えられない
日々では、目の前の我が子をじっくり見つめるしか
ありません。

昨日と今日の僅かな違いを、植物の観察日記のように、
丁寧に見つめ、冷静に俳句にする。
写生句を作る時と、全く変わらない姿勢で、
我が子と向き合う。

その手間をかけた分、ただその日の出来事を並べ立てた
育児日記以上に、鮮烈な記憶となって、心に残ります。

ただ、我が子の写真入りの年賀状を送りつけるような
親馬鹿は、俳句には似合いません。

誰だって、我が子は可愛いのですから、あくまでもクールに。
「当たり前のことは詠まない」「それは単なる報告です」と、
いつも主宰に言われているように。

そしてその上で子供の可愛さ、母親の愛情が
際立ってくれば、大成功と言えるでしょう。

  日焼子の背や紛れなき反抗期       大石 悦子

最近、育児日記としての他にも、我が子を詠むことの
メリットがあることに気付きました。

思春期に入った息子は、何を聞いてもブスっとして、一度で
気持ちの良い返事が返ってきた試しがありません。
何度も声を掛けると、「わかってるんだから、何度も言うな。」
とキレる。

「それなら何故答えないの!」と、激怒するところですが、
「まぁ、そういう時期なんだなぁ」と、不毛な戦いを
挑むのをやめ、言いたいことは言って、格好の句材を
手に入れた、とばかり、母はいそいそと句帳に向かいます。
お陰で、頭に血が上る回数は、すっかり減りました。

  子とあればわが世はたのし金魚玉    高橋 淡路女

参考文献 角川学芸出版・西村和子著「俳句のすすめ 若き母たちへ」
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レオフェイ
Posted byレオフェイ

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