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今回の一句鑑賞は、主宰の参加です!!
2013/ 06/ 10 星野立子~自然観照のナイーブ~
中西夕紀
ふれてみてあざみの花のやさしさよ
おはぐろの水にとまりし如くなり
芍薬の芽のほぐれたる明るさよ
連翹の一枝づつの花ざかり
今落ちし牡丹に蟻ののりゆきぬ
これらは昭和七年と八年の作品である。
一見ただ事のような花や虫の句であるけれど、
作者の観察眼の向日性と、見る目の優しさに包まれている。
ここには柔らかな日差しと緩やかな風、
そしてちょっと湿り気のある地面が想起される。
立子の描く花や虫は厳しい自然界とは無縁な、
人が手を加えた庭園の中に育った生き物たちであることが
多いように思われる。

横浜の三溪園に行くと虚子の句碑が立っていて、
今も「玉藻」の句会が開かれていると聞く。
静かな広い庭園で句作して、出句するという写生の句会が、
立子の時代から引き継がれているのではないだろうか。
掲出句のアザミにしても、オハグロトンボにしても野性味が欠けた、
か弱さが美しさとして描かれているのである。
虚子は立子が主宰していた「玉藻」に『立子へ』という
エッセイを連載していた。虚子の書いた文章の中で最も、
愛情の籠ったものである。
その中にこんなのがある。
掲出句と同時期の昭和八年に書いたものだ。
「昔から女の俳人は多うございますが、
近頃はまた殊に殖えてきたかと思います。
昔の女の俳人、例えば園女(そのめ)とか千代とかいう人は理知的であって、
その点女としてはえらいということになっておったように思います。
しかし婦人としては理智的ならざるところに
長所があるのではないでしょうか。直観的なところに
男子の及ばぬ鋭さがあるのではないでしょうか。
その長所に突き進んで行くところに、新しい女の俳人の使命が
あるのではないでしょうか。
立子などもそういう点に長所を持っていると思います。
そして近頃は自然観照のナイーブという点においては
私らはかえって立子に教えられるところがあります。」

虚子は立子の自然観照のナイーブな捉え方に到底自分は
敵わないと思っていた節がある。
見たものを良く見せようという計らいのない、
一見あるがままに描かれたものには、
その実、非常に豊かな感性を感じさせる把握があり、
確かに見たものを計画的に再構築して作る男性の作品には見られない
無造作な趣がある。
しかし無造作だからこそ独創的であり、
余人の追随を許さない表現となっているのである。
虚子の言葉をみると、如何に立子を認めて、
援護していたかが痛いようにわかる。
中西夕紀
ふれてみてあざみの花のやさしさよ
おはぐろの水にとまりし如くなり
芍薬の芽のほぐれたる明るさよ
連翹の一枝づつの花ざかり
今落ちし牡丹に蟻ののりゆきぬ
これらは昭和七年と八年の作品である。
一見ただ事のような花や虫の句であるけれど、
作者の観察眼の向日性と、見る目の優しさに包まれている。
ここには柔らかな日差しと緩やかな風、
そしてちょっと湿り気のある地面が想起される。
立子の描く花や虫は厳しい自然界とは無縁な、
人が手を加えた庭園の中に育った生き物たちであることが
多いように思われる。

横浜の三溪園に行くと虚子の句碑が立っていて、
今も「玉藻」の句会が開かれていると聞く。
静かな広い庭園で句作して、出句するという写生の句会が、
立子の時代から引き継がれているのではないだろうか。
掲出句のアザミにしても、オハグロトンボにしても野性味が欠けた、
か弱さが美しさとして描かれているのである。
虚子は立子が主宰していた「玉藻」に『立子へ』という
エッセイを連載していた。虚子の書いた文章の中で最も、
愛情の籠ったものである。
その中にこんなのがある。
掲出句と同時期の昭和八年に書いたものだ。
「昔から女の俳人は多うございますが、
近頃はまた殊に殖えてきたかと思います。
昔の女の俳人、例えば園女(そのめ)とか千代とかいう人は理知的であって、
その点女としてはえらいということになっておったように思います。
しかし婦人としては理智的ならざるところに
長所があるのではないでしょうか。直観的なところに
男子の及ばぬ鋭さがあるのではないでしょうか。
その長所に突き進んで行くところに、新しい女の俳人の使命が
あるのではないでしょうか。
立子などもそういう点に長所を持っていると思います。
そして近頃は自然観照のナイーブという点においては
私らはかえって立子に教えられるところがあります。」

虚子は立子の自然観照のナイーブな捉え方に到底自分は
敵わないと思っていた節がある。
見たものを良く見せようという計らいのない、
一見あるがままに描かれたものには、
その実、非常に豊かな感性を感じさせる把握があり、
確かに見たものを計画的に再構築して作る男性の作品には見られない
無造作な趣がある。
しかし無造作だからこそ独創的であり、
余人の追随を許さない表現となっているのである。
虚子の言葉をみると、如何に立子を認めて、
援護していたかが痛いようにわかる。
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