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立子の違った一面を捉えた満理さんです。

2013/ 07/ 20
                 
        一句鑑賞
                
                 大木満里

                   

      忘れたきことゝ一途に水を打つ    星野立子


星野立子四十四歳の時の、一見何気ない句である。
初め散文的でずいぶんストレートな句だと思った。
が、なぜかひかれる。

中七が「ことゝ」でわずかに切れ「句またがり」であるが、
定型をこわしてはいない。それは中七半ばで切れているが
「一途に」の表現が入ることにより、
リズムが崩れていないからである。

中七が作者の微妙な心の様を投影しているように
思えてならない。さらに「水を打つ」という具象的な
夏の季語をもってきている。そこで作者の懊悩を振り払うように、
沈めるように一途に水を打っている様子が見えてくる。

それは誰でもが人生を経る中で経験していることだからだ。
平凡そうに見えても、幸せそうに見えても、
生きることには人に言えない葛藤を心に抱えている。

  
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それを胸におさめておかなければならないせつなさ、つらさ。
うだるような暑さは作者の今の心中にほかならない。
「一途」がきいている。
ひたすら水を打つしかないではないか。

私は星野立子を「幸運」の俳人と思ってきた。
二十三歳で俳句を始め、父虚子の後ろ盾により
二十七歳で句誌「玉藻」の主宰者になったのである。


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しかし「客観写生」「素直・無垢」の句風と言われ名句も数多い中、
それだけではないもうひとつの面を表出した、
主観的な句に出会ったような気がする。
この句は、私の共鳴する一句である。

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