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小一さんは、趣味の絵画の題名をつけるために、俳句をはじめられたそうです。

2013/ 08/ 17
                 
一句鑑賞 

                      関野 小一

    何となう死(しに)に来た世の惜まるる
                              漱石



漱石は、今でも広く多くの人々から愛されている作家ですが、
子規とも親友関係にあった俳人でもありました。

この句は、明治二十七年、漱石二十七歳という
若い頃の句です。
人間の心の奥底や心理描写を主題とする多くの
文学作品を発表してきた文豪漱石のいかにも漱石らしい
俳句ではないかと思います。

(出典 坪内稔典編「漱石俳句集」岩波文庫、
   二〇〇一年版、十四頁)

人間は誰でも時代・場所・親を選べずに偶然に
生まれてきます。
自分はこれから生まれるぞと自覚し、意志を持って
主体的に生まれてくるわけではありません。
こうして偶然に生まれてきた何十億という人間が
地球上で今暮らしています。
漱石は、このことを「何となう」と上五で
言っています。

            040 (2)

人間は「いのち」というものをもつ生命体です。
いのちには必然的に始めと終わり、生と死があります。
生命体としての人間は、永遠の存在ではなく、
有限の存在です。

誰でも何れはこの世からあの世へということになります。
漱石は、中七でこの世を「死(しに)に来た世」と
とらえています。
ここに漱石の漱石たる生命観、人間観、人生観が
みられます。
人生を歓喜、幸福などのタテマエ論ではなく、
人間の心の深層を考える漱石の哲学が観られると
思います。

こうした人間の宿命が解っていても、人間は
いざとなるともう少し生きていたい、今この世を去るのは
惜しい気がすると考えるようです。

稀には何かの行き違いや一時の激情から取り返しの
つかない間違いをしてしまい、自分も死のうと思ったが
死にきれなかったと言い訳をする人がいます。
漱石は下五の「惜まるる」でこうした人間の弱さ、
未練さを詠っているのではないでしょうか。
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