燐さんに選ばれた方は、、、
2013年11月24日 公開
「都市」の一句鑑賞(11)
本多 燐
まさをなる空に月あり初鴉 工藤美風

作句の際、自分の気持ちを実直に言葉へ乗せていくタイプの人と、
言葉を整えながら自分の気持ちを研ぎ澄ませていくタイプの人が
いるように思う。
後者の場合、言葉を整えていく過程において、
作者の美意識が作品を理想化していくことが顕著である。
一見写生的な作品であっても、実際は知的な再構成により
作品が完成されることになる。
美風さんの作品は、まさに後者であって、
その知的な再構成の妙に、私たちは風韻を感じるのだと思う。
理想を求めるということは、生きている今が
理想でないからこそであって、現実には触るることの
叶わないものを追うという点において、哀れを誘うのだ。
しかし、理想化されるということは、しばしば様式化と
同一の作業となる。理想を古典に求めると、
それは猶更かもしれない。
全てが雪月花に集約されていくことになる。
もっとも、集約された中にも、個性の揺らぎが、
必ず顕われてくる。

例えば富安風生の「まさをなる空よりしだれざくらかな」
という句の「かな」という切れが、恥じらいを含んだ俳句的な
表現であると同時に、どこか嫌味と紙一重の危うさを
持っているのに対して、美風さんの句は、「月あり」と
キッパリと切って、「初鴉」と擱く潔さがある。
この潔さは、手練れの無い美しいものであって、
風生の名人芸の持つ面白さとは対極の、清新な感動だ。
理想を求める再構成の作業が、いつしか流れ作業に
陥らない限り、美風さんの俳句の若さは保たれるのだろう。
それが保たれる予感を感じさせるところに、
美風さんの句のオーラがあるのではないだろうか・・・。
本多 燐
まさをなる空に月あり初鴉 工藤美風

作句の際、自分の気持ちを実直に言葉へ乗せていくタイプの人と、
言葉を整えながら自分の気持ちを研ぎ澄ませていくタイプの人が
いるように思う。
後者の場合、言葉を整えていく過程において、
作者の美意識が作品を理想化していくことが顕著である。
一見写生的な作品であっても、実際は知的な再構成により
作品が完成されることになる。
美風さんの作品は、まさに後者であって、
その知的な再構成の妙に、私たちは風韻を感じるのだと思う。
理想を求めるということは、生きている今が
理想でないからこそであって、現実には触るることの
叶わないものを追うという点において、哀れを誘うのだ。
しかし、理想化されるということは、しばしば様式化と
同一の作業となる。理想を古典に求めると、
それは猶更かもしれない。
全てが雪月花に集約されていくことになる。
もっとも、集約された中にも、個性の揺らぎが、
必ず顕われてくる。

例えば富安風生の「まさをなる空よりしだれざくらかな」
という句の「かな」という切れが、恥じらいを含んだ俳句的な
表現であると同時に、どこか嫌味と紙一重の危うさを
持っているのに対して、美風さんの句は、「月あり」と
キッパリと切って、「初鴉」と擱く潔さがある。
この潔さは、手練れの無い美しいものであって、
風生の名人芸の持つ面白さとは対極の、清新な感動だ。
理想を求める再構成の作業が、いつしか流れ作業に
陥らない限り、美風さんの俳句の若さは保たれるのだろう。
それが保たれる予感を感じさせるところに、
美風さんの句のオーラがあるのではないだろうか・・・。
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