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人間一茶の面白い特色を、一茶の文章から語ってもらいます。

2014/ 03/ 30
                 
    文章には山が必要だ(子規)     

               森有也
 

   五十聟天窓をかくす扇かな   
  (ごじゅうむこ あたまをかくす おおぎかな)

               小林一茶(文化十一年 五十二歳)
 

一茶の初婚相手は、二十八歳の今でいえば妙齢の婦人であった。
一茶と言えば、既に流浪生活の無理がたたって
頭髪は白いものが混じり、キセル煙草のヤニで
真っ黒になっていた歯もすべて抜け落ちた五十聟である。

一茶が何故結婚出来たのかは、異母弟と継母がせっせと働いて
増やした屋敷田畑の半分を、むりやり譲り受けることが
出来たからである。
江戸時代の長子相続制の世にあっては、女性は誰かに
養ってもらうしか生きる術はなかったのだろう。
 
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新婚の嫁は、同じ敷地の継母、義弟に気がねしながら
良く働き、一茶との間に四人もの子をなした。
しかし、結婚九年にしてこの妻菊を病気で亡くし、
ほどなく四人目の金三郎をも亡くして
再び天涯孤独の身になってしまった。

一茶は子供を亡くす度に俳文を書いている。
最も有名なのは『おらが春』である。

    秋風やむしりたがりし赤い花 (文成二年 五七歳)

長女さとの三十五日の墓参時、一茶渾身の絶唱である。
一方、石太郎を亡くした時の『石太郎を悼む』(文政四年正月)は、
妻菊に対する恨みがましい文章になっている。

「(前略)老妻菊女といふもの、片葉の芦の片意地強く、
おのが身のたしなみになるべきことを人の教れば、
うはの空吹く風のやかましとのみ露々守らざる物から、
小児二人ともに非業の命うしなひぬ。

この度は三度目に当れば、又前の通りならんと、
いとゞ不便さに、盤石の立るに等しく、
雨風さへことともせずして、母に押つぶさるゝ事なく、
したゝか長寿せよと、赤子を石太郎となん呼りける。

母にしめしていふ。『此さゞれ石、百日あまりも経て、
百貫目のかた石となる迄、必よ背に負ふ事なかれ』と、
日に千度いましめけるを、いかゞしたりけん
生れて九十六日といふけふ、朝とく背おひて負ひ殺しぬ(以下略)」。
 
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あれ程苦労をかけた妻に対しての言葉とも思われない。
一茶にはいづれの俳文においても、誇張して悲劇を
倍加させる癖があるようだ。
夜も寝ずに妻を看取った一茶なのに、文章にすると
矢も楯もたまらず山のある劇場型の構成にしてしまうのだ
一茶は根っからの文章家だったのだろう。 

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