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勉強会で、誓子の発表をしてくださった、たつやさんの鑑賞文です。

2014/ 07/ 11
                 
       山口誓子一句鑑賞 

                    澤田 たつや

    学問のさびしさに堪へ炭をつぐ
                     「凍港」昭和7年刊



掲句は関東大震災後の冬、本郷の下宿での作である。
当時、誓子は東京大学法学部に在学中(24歳)であった。
また、この句は大正13年6月号の「ホトトギス」入選作でもある。
 
古びた下宿の一室でひたすら、高等文官試験(司法科)の
受験勉強に専念している。手許を照らす電灯の明るさが
頼りの味気ない試験勉強だ。
そして、試験に合格し高等文官になることは、
育ての親である外祖父の強い希望でもあったのである。

窓ガラスを震わす風の音に気が付くと、すでに夜も更けている。
マントを羽織っていても、寒さがひしひしと身に迫ってくる。
ふと、手許の火鉢を見れば炭は消えかかっている、
いそいで、炭を足し冷たくなった手をあたため、
再び机に向かったのである。

                   IMG_1649.jpg


高等文官試験(司法科)を目指す味気ない受験勉強は、
孤独と淋しさとの戦いであり、「炭をつぐ」ことが、
それに堪えて行く形であったのである。

誓子は、後年「独り淋しさに堪え忍ぶことは、
私の少年時代からの特技である」と述べている。
母方から文学の才能を受け継いだ、誓子にとっては、
本質的に文学と法律はあいいれないものであったに違いない。
誓子は「法律の勉強には、条文の丸暗記や論理的な解釈が必要で、
味気ないわびしい勉強だった。」と述べている。

この年の夏、誓子は試験勉強のための無理がたたって、
肺尖を侵され、芦屋で静養していたがさらに、
肋膜炎を併発し寝込でしまい、大学も休学し、
療養のため高等文官試験の受験は断念することとなったのである。

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