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今年最後のブログは、梢さんによる「松本たかし」の句の鑑賞です。
2014/ 12/ 29 松本たかし一句鑑賞
三森梢
村人に倣ひ暮しぬ吊し柿
松本たかしは、二つの人生を
生きた様に思います。
明治三十九年宝生流の名門に生れ、
父と祖父の薫陶の下、厳しい修練に
明け暮れた少年期。
心身の不調から家の芸を継ぐ事を諦め、
俳句の世界で生きた日々。
この二つの人生の境目の頃、
鎌倉へ移り住みます。
大正十五年の事でした。
その浄明寺の家の前には滑川が流れ、
広い庭の木々や草花と共に、
四季の移り変わりを告げてくれます。
付近は麦や蕎麦の畑が広がって
いたそうですが、秋にはたわわに実る柿の実が、
彼方此方に見られた事でしょう。

実際にたかしも干柿作りを
したのでしょうか?日溜りの縁側で
丁寧に皮を剥く姿を思うと、
心が温かくなる思いです。
この「倣ひ暮しぬ」という表現からは、
渋柿を甘く美味しい干柿へと
作り替える技や、農家の人の持つ
様々な暮らしの智恵に対して、
尊敬の気持ちを抱くたかしが
見えてきます。
それは、能役者となるべくその修業に
命を削った体験を持つからこその、
技とそれを有する人への敬意であると
思います。
この小さな家は「たかし庵」と呼ばれ、
虚子や父の長を迎えて度々句会が
開かれていきます。

心身の不調から移り住む事となった
鎌倉浄明寺ですが、四季折々の自然と
そこに暮す人々を句材に得て、
たかしの代表句となる数々の作品を
生み出していきます。
三森梢
村人に倣ひ暮しぬ吊し柿
松本たかしは、二つの人生を
生きた様に思います。
明治三十九年宝生流の名門に生れ、
父と祖父の薫陶の下、厳しい修練に
明け暮れた少年期。
心身の不調から家の芸を継ぐ事を諦め、
俳句の世界で生きた日々。
この二つの人生の境目の頃、
鎌倉へ移り住みます。
大正十五年の事でした。
その浄明寺の家の前には滑川が流れ、
広い庭の木々や草花と共に、
四季の移り変わりを告げてくれます。
付近は麦や蕎麦の畑が広がって
いたそうですが、秋にはたわわに実る柿の実が、
彼方此方に見られた事でしょう。

実際にたかしも干柿作りを
したのでしょうか?日溜りの縁側で
丁寧に皮を剥く姿を思うと、
心が温かくなる思いです。
この「倣ひ暮しぬ」という表現からは、
渋柿を甘く美味しい干柿へと
作り替える技や、農家の人の持つ
様々な暮らしの智恵に対して、
尊敬の気持ちを抱くたかしが
見えてきます。
それは、能役者となるべくその修業に
命を削った体験を持つからこその、
技とそれを有する人への敬意であると
思います。
この小さな家は「たかし庵」と呼ばれ、
虚子や父の長を迎えて度々句会が
開かれていきます。

心身の不調から移り住む事となった
鎌倉浄明寺ですが、四季折々の自然と
そこに暮す人々を句材に得て、
たかしの代表句となる数々の作品を
生み出していきます。
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