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新春1号は美風さんによる主宰の1句鑑賞です。

2015/ 01/ 08
                 
          美風さんブログ主宰の1句鑑賞句
                                            工藤 美風


     手話の子の手も笑ふごと花木槿      中西夕紀              
                            
                                    都市2014年 12月号より


この句を目にした時、何とも言えない感が湧き上がってきました。
中7の「手も笑ふごと」で、この子の顔の表情、
体の動きがまざまざと浮かぶのです。
生き生きと楽しそうなのです。
「も」がそうさせるのではないかと思います。

                  IMG_0532.jpg


主宰は人を深く見つめ、それを良く表現されていることを、
他の句からも常々感じておりました。

でもこの句はそれでは終わらないのです。
ここまで、この子の動きを目に焼き付けておいて、
下5で花木槿なのです。
何故この季語なのか、主宰はどうしてこの季語にしたのか、
ここで読む人に想像させているのだと思います。

私なら「この子のそばに丁度木槿が咲いていたので、
そのままの景を詠んだのです」と言うでしょう。
だとすると木槿でなくてもよいのですよね。
しかし主宰は木槿が最も相応しいと判断されたのでしょう。

一句からいろいろな事を想像させる、そうさせるのが
俳句の醍醐味、楽しさだと思うのです。
 
白居易、放言詩から
「松樹千年終に是れ朽ち,槿花一日自ずから栄を為す」
と栄華のはかないことを、木槿の花にたとえて言う。

「木槿一朝の夢」という言葉があります。
木槿は朝咲いて夕方にしぼむ一日花です。
こういう性質から昔から言われているのでしょう。

でも今は園芸種も多くなり、はかないながら華やかな感のする木槿を
たくさん見ることができます。

                       IMG_8432.jpg

 
人が生きていくには、いろいろあります。
でも嫌な事があっても朝がくると綺麗な花を咲かせるように、
また希望に向かって一日一日生きて欲しいと、
主宰の気持ちをこめ、この季語にしたのではないかと
思われます。
 
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