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新春1号は美風さんによる主宰の1句鑑賞です。
2015/ 01/ 08 美風さんブログ主宰の1句鑑賞句
工藤 美風
手話の子の手も笑ふごと花木槿 中西夕紀
都市2014年 12月号より
この句を目にした時、何とも言えない感が湧き上がってきました。
中7の「手も笑ふごと」で、この子の顔の表情、
体の動きがまざまざと浮かぶのです。
生き生きと楽しそうなのです。
「も」がそうさせるのではないかと思います。

主宰は人を深く見つめ、それを良く表現されていることを、
他の句からも常々感じておりました。
でもこの句はそれでは終わらないのです。
ここまで、この子の動きを目に焼き付けておいて、
下5で花木槿なのです。
何故この季語なのか、主宰はどうしてこの季語にしたのか、
ここで読む人に想像させているのだと思います。
私なら「この子のそばに丁度木槿が咲いていたので、
そのままの景を詠んだのです」と言うでしょう。
だとすると木槿でなくてもよいのですよね。
しかし主宰は木槿が最も相応しいと判断されたのでしょう。
一句からいろいろな事を想像させる、そうさせるのが
俳句の醍醐味、楽しさだと思うのです。
白居易、放言詩から
「松樹千年終に是れ朽ち,槿花一日自ずから栄を為す」
と栄華のはかないことを、木槿の花にたとえて言う。
「木槿一朝の夢」という言葉があります。
木槿は朝咲いて夕方にしぼむ一日花です。
こういう性質から昔から言われているのでしょう。
でも今は園芸種も多くなり、はかないながら華やかな感のする木槿を
たくさん見ることができます。

人が生きていくには、いろいろあります。
でも嫌な事があっても朝がくると綺麗な花を咲かせるように、
また希望に向かって一日一日生きて欲しいと、
主宰の気持ちをこめ、この季語にしたのではないかと
思われます。
工藤 美風
手話の子の手も笑ふごと花木槿 中西夕紀
都市2014年 12月号より
この句を目にした時、何とも言えない感が湧き上がってきました。
中7の「手も笑ふごと」で、この子の顔の表情、
体の動きがまざまざと浮かぶのです。
生き生きと楽しそうなのです。
「も」がそうさせるのではないかと思います。

主宰は人を深く見つめ、それを良く表現されていることを、
他の句からも常々感じておりました。
でもこの句はそれでは終わらないのです。
ここまで、この子の動きを目に焼き付けておいて、
下5で花木槿なのです。
何故この季語なのか、主宰はどうしてこの季語にしたのか、
ここで読む人に想像させているのだと思います。
私なら「この子のそばに丁度木槿が咲いていたので、
そのままの景を詠んだのです」と言うでしょう。
だとすると木槿でなくてもよいのですよね。
しかし主宰は木槿が最も相応しいと判断されたのでしょう。
一句からいろいろな事を想像させる、そうさせるのが
俳句の醍醐味、楽しさだと思うのです。
白居易、放言詩から
「松樹千年終に是れ朽ち,槿花一日自ずから栄を為す」
と栄華のはかないことを、木槿の花にたとえて言う。
「木槿一朝の夢」という言葉があります。
木槿は朝咲いて夕方にしぼむ一日花です。
こういう性質から昔から言われているのでしょう。
でも今は園芸種も多くなり、はかないながら華やかな感のする木槿を
たくさん見ることができます。

人が生きていくには、いろいろあります。
でも嫌な事があっても朝がくると綺麗な花を咲かせるように、
また希望に向かって一日一日生きて欲しいと、
主宰の気持ちをこめ、この季語にしたのではないかと
思われます。
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