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「虚子」の勉強会で大論争になった句についてお三方の思いを語って頂きます。
2009/ 11/ 22「都市」現代俳句勉強会―ありのままの俳句―
森 有也

酌婦来る火取虫より汚きが 虚子
「どうしてこんな句を選んだの!」きつい第一声はNさん。
「そうよ。こんな女性蔑視の句のどこがいいの!」
「だいたい底辺の人や貧しい人たちのこと
見下しているんじゃないの!」
「写真でみても余り好きな顔でないけど
今まで虚子の俳句に共感を持っていたのに
こんな句を作るなんて。どこか上から目線の人なのよ!」
見かねて、MAさんが首をふりふり
「この時代は遊閣や赤線があった時代だから、
こんな句も受け入れられたのよ」ととりなす。
しかし、だんだん議論はエスカレートして、
男であることが悪いような雰囲気になってきた。
同席する男性会員としては逃げ出したい気分である。
この句を推薦したMさんは、すっかりしょげかえっている。
司会のKさんの大きな目も困惑の体である。
「都市」では「現代俳句勉強会」と称して
現近代の俳人の句集から各自5句を推薦して
お互いに選評を交わす会を開いている。
今回は碧梧桐に続いて、虚子の俳句が対象である。
Mさんが推薦した掲句は句集『五百句』からのもので
昭和九年作である。
多賀沼のほとりの小料理屋で小酌をした経験に基づく作とのこと。
虚子自註では「あはれがあった」とある。
稲畑汀子は『虚子百句』にこの句を採り上げて
次のように解説している。
虚子は小諸時代を経て、
「あらゆるものを、あるがままに詠むのである」という
存問を深めた境地に至ったのである。
「虚子にとって美しいものと醜いものの間に差はない」と。
このことを、倉橋羊村は『人間虚子』でさらに考察して
大正五年に長兄や漱石、さらには最愛の四女六子を亡くした
絶望の淵から辿りついた、
「諸法実相」に源があるとしている。
「諸法実相」とは一言で説明は不可能であるが
虚子にとっては
「ただありのままをありのままとして考える外はない」
として、善も悪も醜も美もすべて受け入れ、
すべてを肯定する立場で俳句を詠むということに
繋がっていったものと思われる。
話は変わるが、「都市」では別に句会
「にんじんの会」を開いている。
そこでは、『おくのほそ道』を一年かけて読み下し
今『野ざらし紀行』に取り組んでいる。
芭蕉は『野ざらし紀行』で、富士川のほとりに捨子を見かけ
温かい言葉を投げかけるどころか、
「これ捨子、父母はお前を憎んで捨てたのではない。
ただ自分が天より受けた生まれつきの不運を泣きなさい」
と言うのである。
しかし、ここには深い思想「荘子」に裏付けられた
ものがあるといわれている。
長年、宗教哲学を学んでいるK氏によれば
「絶対無差別の世界の実現が荘子の思想」という。
芭蕉の冷たさは表面的にはそうであるが
俳諧や禅を通して至った究極は
人間も自然界の中に含まれてすべては
「ありのまま」であることを受け入れるべきだと。
ここで、虚子に戻ろう。
虚子も俳句を基本に置きながら、人間を考えてきた。
その結果、芭蕉と同じような「ありのまま」を
認める悟りに至ったのである。
拠り所とした思想は異なっていても、辿り着いたところは
芭蕉も虚子も「ありのまま」である。
「都市」の会員達も冒頭に紹介したように、
たどたどしい歩みをしながらも、俳句の深みに
少しずつその一歩一歩を進めている。
森 有也

酌婦来る火取虫より汚きが 虚子
「どうしてこんな句を選んだの!」きつい第一声はNさん。
「そうよ。こんな女性蔑視の句のどこがいいの!」
「だいたい底辺の人や貧しい人たちのこと
見下しているんじゃないの!」
「写真でみても余り好きな顔でないけど
今まで虚子の俳句に共感を持っていたのに
こんな句を作るなんて。どこか上から目線の人なのよ!」
見かねて、MAさんが首をふりふり
「この時代は遊閣や赤線があった時代だから、
こんな句も受け入れられたのよ」ととりなす。
しかし、だんだん議論はエスカレートして、
男であることが悪いような雰囲気になってきた。
同席する男性会員としては逃げ出したい気分である。
この句を推薦したMさんは、すっかりしょげかえっている。
司会のKさんの大きな目も困惑の体である。
「都市」では「現代俳句勉強会」と称して
現近代の俳人の句集から各自5句を推薦して
お互いに選評を交わす会を開いている。
今回は碧梧桐に続いて、虚子の俳句が対象である。
Mさんが推薦した掲句は句集『五百句』からのもので
昭和九年作である。
多賀沼のほとりの小料理屋で小酌をした経験に基づく作とのこと。
虚子自註では「あはれがあった」とある。
稲畑汀子は『虚子百句』にこの句を採り上げて
次のように解説している。
虚子は小諸時代を経て、
「あらゆるものを、あるがままに詠むのである」という
存問を深めた境地に至ったのである。
「虚子にとって美しいものと醜いものの間に差はない」と。
このことを、倉橋羊村は『人間虚子』でさらに考察して
大正五年に長兄や漱石、さらには最愛の四女六子を亡くした
絶望の淵から辿りついた、
「諸法実相」に源があるとしている。
「諸法実相」とは一言で説明は不可能であるが
虚子にとっては
「ただありのままをありのままとして考える外はない」
として、善も悪も醜も美もすべて受け入れ、
すべてを肯定する立場で俳句を詠むということに
繋がっていったものと思われる。
話は変わるが、「都市」では別に句会
「にんじんの会」を開いている。
そこでは、『おくのほそ道』を一年かけて読み下し
今『野ざらし紀行』に取り組んでいる。
芭蕉は『野ざらし紀行』で、富士川のほとりに捨子を見かけ
温かい言葉を投げかけるどころか、
「これ捨子、父母はお前を憎んで捨てたのではない。
ただ自分が天より受けた生まれつきの不運を泣きなさい」
と言うのである。
しかし、ここには深い思想「荘子」に裏付けられた
ものがあるといわれている。
長年、宗教哲学を学んでいるK氏によれば
「絶対無差別の世界の実現が荘子の思想」という。
芭蕉の冷たさは表面的にはそうであるが
俳諧や禅を通して至った究極は
人間も自然界の中に含まれてすべては
「ありのまま」であることを受け入れるべきだと。
ここで、虚子に戻ろう。
虚子も俳句を基本に置きながら、人間を考えてきた。
その結果、芭蕉と同じような「ありのまま」を
認める悟りに至ったのである。
拠り所とした思想は異なっていても、辿り着いたところは
芭蕉も虚子も「ありのまま」である。
「都市」の会員達も冒頭に紹介したように、
たどたどしい歩みをしながらも、俳句の深みに
少しずつその一歩一歩を進めている。
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