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画家である聖羅さんらしい俳句を、七海さんが取り上げました。

2015/ 03/ 08
                 
  都市の一句(23)  桜木七海

       寒風やゴッホの耳のまとひつき
                     田中聖羅


ゴッホがパリの喧騒を逃れて南仏のアルルに移ったのが
1888年2月、ゴーギャンがゴッホの誘いで共同生活を
始めたのがその年の10月、そして、耳切り事件はそれから
丁度2カ月後の12月に起こっている。

この有名な耳切り事件、ゴッホは切った耳の包帯がまだ
取れない病み上がりの顔にパイプをくわえ、毛皮の帽子をかぶった
有名な画像を残している。

かろうじて狂気と錯乱の嵐から抜け出すことのできた痛ましい姿を
わずかに甦ってきた気力を振り絞って描き上げたものだ。

IMG_2645.jpg


ゴッホは何故耳切り事件をおこしたのか。ゴーギャンとの短い
共同生活の中での意見の食い違い、はげしい論争と感情の軋轢
ぎりぎりまで追い詰められたゴッホ。

ゴーギャンはアルルに来る前に一つの決意を心に秘めていた。
ゴッホを自分達のグループに引き込もうと。
一方ゴッホは、異なった世界観や傾向を持つ多くの画家が集まり
自由に議論を戦わせ、個性を開花させる場を作りたいと夢見ていた。

二人が決裂したとき、ゴーギャンは言った。
「僕の友情に応えあられず、貴重な提案に耳をかせないのだったら
そんな立派な耳はいらない。いっそそんな耳なんか
取ってしまったらどうだ。」

ゴッホが死を賭けてまで持ち続けなければならなかった芸術への執念。
それがきりとられた「耳」だったような気がする。

IMG_9199.jpg


趣味の域を超えた絵を描かれる作者だからこその1句だと
感心した。

この句に1枚の絵を添えるとしたら、ゴッホが死を迎えた地オヴェールで
描かれた「烏の群れ飛ぶ麦畑」ではなだろうか。
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