勉強会のために、丹念に芝不器男を調べた風さんのブログです。
2015年03月31日 公開
芝不器男の裏話
小林 風
「芝不器男伝」(飴山実著)を読んでいくと、
芝不器男夫人の文江が生前回想の中で、
「不器男は小作争議に加担していたのではないか、
左翼的な思想を持っていたのではないか」
と思ったこともあった、という一文が目に入ってきた。

確かに不器男が婦人問題や小作人の立場に立って
農村振興策を書き上げている記録がある。
ただ飴山 実は、この記録は不器男が中学の頃のもので
純粋さから出た批判精神のあらわれであるとして、
夫人の言うこととは符合しないと否定している。
調べてみると次のようなことが分かった。
昭和三年四月に太宰家へ不器男が婿養子に入った時、
岳父の太宰孫九は幾つかの会社を経営する実業家であり
衆議院議員でもあった。不器男が「若いのだから働きたい」
と申し出ても、当主として家を守っているようにと言われ、
内心忸怩たる思いがあったようだ。
また当主の座にもなじめなかったようである。
孫九が留守の時の食卓は、不器男のトークで笑いが
絶えなかったという。
丁度この昭和三年、全府県に特高警察が配置された。
(大正十二年主要九府県だけに創設されていた)
この特高が太宰家を見張っていたというのは事実である。
「特高が来て気持ちが悪い」「家の周囲をうろうろと伺っている」と語らいながら、
夫人や家人らは不安な日々を過ごしていたようだ。
この頃から、反伝統・反ホトトギスの広がりに
暗い影が射し始めてきていた。
不器男死後数年して、「天の川」の吉岡禅寺洞は
検挙は免れたもののホトトギスから除名されている。

昭和三年二月、結婚数ヶ月前の句に
「蜜柑山警察船の着きにけり」(天の川、ホトトギス)がある。
普段から見慣れた蜜柑山の美しい景色、
漁港は出荷の準備でにぎわっている。
そこへ見慣れない警察船がきたので驚いた様子が伺える。
見回りの警察船だったのかもしれない。
不器男には国家を批判するような句はないが、
俳句において批判的で妥協を排する精神の
持ち主だっただけに、病魔におそわれていなければ
どのような作品を生み出していたであろうか。
小林 風
「芝不器男伝」(飴山実著)を読んでいくと、
芝不器男夫人の文江が生前回想の中で、
「不器男は小作争議に加担していたのではないか、
左翼的な思想を持っていたのではないか」
と思ったこともあった、という一文が目に入ってきた。

確かに不器男が婦人問題や小作人の立場に立って
農村振興策を書き上げている記録がある。
ただ飴山 実は、この記録は不器男が中学の頃のもので
純粋さから出た批判精神のあらわれであるとして、
夫人の言うこととは符合しないと否定している。
調べてみると次のようなことが分かった。
昭和三年四月に太宰家へ不器男が婿養子に入った時、
岳父の太宰孫九は幾つかの会社を経営する実業家であり
衆議院議員でもあった。不器男が「若いのだから働きたい」
と申し出ても、当主として家を守っているようにと言われ、
内心忸怩たる思いがあったようだ。
また当主の座にもなじめなかったようである。
孫九が留守の時の食卓は、不器男のトークで笑いが
絶えなかったという。
丁度この昭和三年、全府県に特高警察が配置された。
(大正十二年主要九府県だけに創設されていた)
この特高が太宰家を見張っていたというのは事実である。
「特高が来て気持ちが悪い」「家の周囲をうろうろと伺っている」と語らいながら、
夫人や家人らは不安な日々を過ごしていたようだ。
この頃から、反伝統・反ホトトギスの広がりに
暗い影が射し始めてきていた。
不器男死後数年して、「天の川」の吉岡禅寺洞は
検挙は免れたもののホトトギスから除名されている。

昭和三年二月、結婚数ヶ月前の句に
「蜜柑山警察船の着きにけり」(天の川、ホトトギス)がある。
普段から見慣れた蜜柑山の美しい景色、
漁港は出荷の準備でにぎわっている。
そこへ見慣れない警察船がきたので驚いた様子が伺える。
見回りの警察船だったのかもしれない。
不器男には国家を批判するような句はないが、
俳句において批判的で妥協を排する精神の
持ち主だっただけに、病魔におそわれていなければ
どのような作品を生み出していたであろうか。
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