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現代俳句勉強会で秋櫻子を担当してくださった、有也さんのブログです。

2015/ 05/ 29
                 
           秋櫻子の大和
                                  森 有也

     
      百濟観音
     春惜むおんすがたこそとこしなへ

     伎藝天
     藤咲けば眉の匂ひて見えたまふ

     天燈鬼
     人が焼く天の山火を奪うもの

     橘夫人之念持佛
     行春やたゞ照り給ふ厨子の中 



 これらの句は第一句集『葛飾』の最後に載せられた
「連作・古き藝術を詠む」の一部である。
秋櫻子は東大医学部に入学した頃から本格的に俳句に
のめり込んで虚子に師事している。
 
秋櫻子はその頃読んだ和辻哲郎の『古寺巡礼』に感動し、
昭和2年虚子や俳句仲間に京都に誘われた折、
一人大和を尋ねたのであった。

それから2年後にも山城、大和を訪ねて当麻寺などを
吟行している。結局、秋櫻子は生涯17回にも渡って
大和の寺々を訪ねているのである。
これらの句には、万葉集や短歌の調べが根底にある。

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同時に収録した「筑波山縁起」には「わだなかや鵜の鳥群るゝ島二つ」
のような句があり、この頃から、秋櫻子自身調べに頼るあまり
自分の心が浮いた状態で、句にもそれが現れていることに気付いている。
 
連作についても窪田空穂に短歌の連作を学んだもので、
山口誓子とともにその普及に努めた。
しかし後年、連作の弊害である「季語の軽視」や「
複数句の構成による各句のもたれ合いの結果、
一句の独立性の欠如」に気づき、提唱者みずから
取り下げる結果となった。
 
秋櫻子には長い俳句上の沈潜期があると一般的に指摘されている。
そこには戦争による影響、とくに宮内省侍医療掛として
皇室に親しく接した中で終戦を迎えた時の価値観の逆転など、
一般の人とは違った煩悶があったに違いない。

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しかしながら、生涯に渡って21の句集をまとめ上げた
俳句への執念には、冒頭に述べたように常に自分の俳句への反省と、
俳句を文学として芸術全般を身につけて行った姿勢が
根底にあったものと推察するのである。
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