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燐さんの迫り方すごいです!

2015/ 08/ 03
                 
        ゆらぎ       

               本多 燐

 

地下鉄の先の闇みて年つまる    北杜 青
 
探梅や影落とし行くロープウエイ   北杜 青
 
交番の奥まで見えて梅早し      北杜 青



三句とも、時間と空間が入れ替わってしまったような感じがする
不思議な句です。
入れ替わらないまでも、時間と空間が少しズレてしまっている感じ。
自分という存在が、時間の中にいるのか?
空間の中にいるのか?
時間と空間がぴったりと重なっているということが、
錯覚であると、それに気づいてしまった不安が、
静かに立ち上がっています。
 
季語は、時間や空間の既視感を前提としている・・・。
その共通認識を無意識のうちに逆手に取って、
生のゆらぎを発見している三句と言えます。
例えば「探梅」という一見主体的な行為は、
既視感により安定を与えられたものです。


                              IMG_9773.jpg

 
しかし、浮遊するロープウエイの影が、
少し後ろを遅れているのを発見した瞬間に、
時間と空間の断層に気づき、自分がどちらにいるのか、
俄にわからなくなってくる。
しかも、ロープウエイは、強制的に「探梅」という行為に
自分を引き連れて行ってしまう。
逆らえず、安定へ安定へと、自分を引き連れて行ってしまう・・・かのように
思える。

三句とも、やや散文的なところが、生への不安を一層深めています。
つまり詩に昇華する一歩手前の、美的に抽象化される一歩手前の、
不気味な感覚です。

                     IMG_8274.jpg
             
 
一方でグロテスクな感じが、それほどしない。
それを感じさせないところに、自分だけに見えてしまった”怖さ”が
有るように思えます。
 
なお、冒頭の三句は、作者の俳句としては並の部類に入ります。
巷間の評価をもってすれば、作者の代表句は他にもたくさんあります。
ただ、こういった普段使いの言葉に、無理を少しも感じさせない奥行きが有って、
群れないところも、私の好むところの俳句です。
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