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勉強会の担当者による、風生の1句鑑賞です。

2017/ 03/ 04
                 
        富安風生の一句鑑賞     
                             髙橋 亘

      よろこべばしきりに落つる木の実かな   富安風生
 
秋も深まったある日、近所の公園かあるいはどこかの庭先だろうか、
樫か椎の高木の下で一休みしていると、石にでも当たったのか
こつんと音がして木の実が足元に転がってきた。
その偶然の面白さを喜んでいたら、その気持ちに応えるように、
もっと木の実が落ちてきたのである。

             DSCF6394.jpg
      

木の実が落ちたのは風のいたずらか自然落下によるものであるが、
「しきりに」と意志がある如くとらえたのは、風生の植物に対する
優れた感性の故だろう。
 
当時の俳人仲間は植物に詳しい富安風生を「植富」と渾名をしていたが、
それは風生の草木や花への深い関心が、
草木や花の声を引き出して上手に詠んだことに起因する

この句もやさしく見たままを表現しているように見えるが、
上五で「よろこべば」とこれから起きる作者の期待感を示し、
中七に「しきりに」と木の実の意志をいれたことがこの句を面白くしている。

仮に「しきりに」の代わりに「のべつ」を使ってみると
「よろこべばのべつに落つる木の実かな」となり、ただ木の実が落ちるのを
作者が喜んでいるだけであるが、「しきりに」とすると、
よろこぶ作者に対しもっとよろこんでもらおうとして
落ちてくる木の実が見えてくる。
これが「植富」と言われる感性ではないか。

                                   IMG_8214.jpg



こつんと落ちてきた最初の木の実が風生の感性の扉を叩いて、
この句が生まれたと解釈したい。

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