現代俳句勉強会で、詳しく芥川龍之介を論じてくださった、聖羅さんによる1句鑑賞です。

    芥川龍之介 一句             田中 聖羅

          蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな

東京が寒波に沈んだ日、銀座の「カフェーパウリスタ」で一杯の
ブラジルコーヒーを味わった。コーヒー好きな芥川龍之介が菊池寛と
よく待ち合わせをしたという店である。
「寒さかな」、「寒波来る」等々、季語を頭によぎらせていて、ふと、
芥川の夏の一句が、思い返された。

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大正7年8月の「ホトトギス」雑詠欄の巻頭頁の二人目に
鉄条〔ぜんまい〕に似て蝶の舌暑さかな   鎌倉 我鬼
が掲載されると、たちまち、飯田蛇笏が、「無名の俳人によって力作
さるる逸品」と称賛した。このとき、蛇笏は、「鎌倉 我鬼」が芥川
とはまだ知らなかったのである。このことが縁となり、芥川と蛇笏の
交流が生まれた。この句は後に、
蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな
と改められた。

一方、大正6年に第1詩集『月に吠える』を刊行した萩原朔太郎の
この句への評価は、手厳しいものであった。
「この句は、ゼンマイに似ているといふ目付け所が山であり、比喩の
奇警にして観察の細かいところに作者の味噌があるのだろうが、結果
はそれだけの機智であって、本質的に何の俳味も詩情もない、単なる
才気だけの作品である・・・」と決め付けた。

あこがれの朔太郎ではあるが、小説家の俳句をなかなか認めようとし
なかった嫌いがある。蝶の舌をゼンマイに喩えたことを、単に才気だ
けの機智と捉えたのだろうが、しかし、しかしである。
この句には、「暑さかな」という大きな季語があることを、朔太郎は
見逃したのではないだろうか。暑さにあえぎながら生き抜こうと必死
の蝶の舌なのである。芥川自身が、「暑さ」に非常に弱かったことが
わかっている。

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時代の流れもあり、近頃は「季語」に関しいろいろな動きがあるよう
である。結局、店では何もひらめかず凍てた街へ出た。一句での語彙
や内容を包み込む季語の大きさや、深さを肝に銘じたい・・というより
肝に感じたいと思いながら・・・。
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