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林火の1句

2018/ 10/ 12
                 
              林火一句鑑賞                   
                            大木満里

       路次ふかく英靈還り冬の霧

昭和13年作。
昭和12年、日中戦争が始まった。13年には「国家総動員法」
前書きに、「教へ子の英靈つぎつぎ還る」、とある。
重く、深い哀しみにみちた実景の句である。

                 空


神奈川県立商工実習学校の教師として、戦地から還る白木の箱を、
見つめている作者。
白木の箱を覆う、「冬の霧」は、重く、冷たい。
路次(道筋)の奥深く、つつましく生きる、戦死した若者の家族の、
声に出してはならない、声にならない慟哭さえも、胸に響いてくる。
それは、作者の哀しみでもある。
しっかりとした定型でできているのは、哀しみを胸におさめようと
しているかのように思えてくる。

かつて「本買へば表紙が匂ふ雪の暮」(大正15年)と、
若き日の溢れる感性を詠った林火である。
そこには、青年のもつ希望とロマンチシズムががあった。
林火の自宅には、多くの学生が集ったという。

                     電線

                          
戦死した若者は、在学中に、林火と文学について語ったことが
あったかもしれない。
あるいは、俳句を作ったことがあったかもしれない。
あるいは、𠮟責をうけたことがあったかもしれない。
必死に勉強をしていたかもしれない。
かっての林火のように、友人と授業をエスケイプしていたかもしれない。
笑い、泣き、怒り、思索し、希望はこれからだったはずである。
この「冬の霧」は、さらに深く重く、泥沼化していく。
林火の、人間として教師としての誠実さが、滲み出ている句である。
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