Article
満里さんによる、青さんの第一句集「恭」の句集評です。
2020/ 05/ 05 穏やかなる詩情『恭(かたじけな)』(北杜青著) 大木満里
北杜青さんが第一句集『恭(かたじけな)』を上梓された。
句集の全句を一読した後、読みかえした印象的な文章がある。
2014年6月号「都市」誌上「俳句は人生だー福永耕二小論」に於いて
「(前略)特別な才能がなくても、全国を放浪しなくても、俳句という表現形式を
人生の等価のものとして愛し、日々誠実に生きることによって俳句形式からの
恩寵を受けることができるかもしれないと感じたのです。」と書いている。
俳句形式からの「恩寵」とは何か。それは、作者の生きる糧に、
喜びにつながるものである。それは、また俳句を身の内に取り入れて生きる、
厳しさでもある。
それ故、北杜さんは、真摯に誠実に、俳句に取り組まれてきたのだろう。
今回、上梓された句集『恭』には、全編に、作者のその俳句に対する姿勢が
投影されており、句に結実している。
春寒や人魚のもてる玻璃の胸
裏口にコック憩へる桜かな
氷旗古墳の風に吹かれをり

一八の風がむらさきとくやうに
朝顔の藍にはじまる木曾路かな

秋嶺や小窓に見ゆる厨ごと
林道の枯葉に韻を踏むごとし
影ふみに春着の影の加はりぬ
四季・春夏秋冬から以上の二句ずつ八句を選んだ。
他に取り上げるべき佳句は多々ありながらも、あえて平易な表現の句を選んだのは、
ありふれた日々の営みに向き合い、写生し、句を紡ぎだす、作者の作句の原点を、
そこに見たからである。
一句目、春寒とガラス細工の人魚の胸の取り合わせのひんやりとしたエロスの、手触り。
二句、三句目、さりげない日常を掬い上げ軽やかに詠む手堅さ。
四句目、下五「とくやうに」の表現により一八のむらさきの色が際立つ効果。
五句目、「朝顔の藍に始まる」の切り取りのうまさ。これにより木曾路の
澄んだ美しい景がはっきり見えてくる。
六句目、秋の彩りの嶺を背景に、山荘かもしれない。
家族の料理するはしゃいだ姿をそっとのぞき見て、幸せを感じている作者。
すがすがしい句である。

七句目、作者は、枯葉を韻を踏むようにひとり楽しんでいる。
その乾いた音までもが聞こえてくるようだ。
八句目、お正月の子供たちの影ふみ。春着の影でわかる。見つめる作者の
やさしい眼差しが印象的である。
気負いのない句作りに、穏やかな詩情が生まれているのは、確かな観察の眼が
あるからであり、それが確かな描写となって句に昇華しているのである。
この句集の題名『恭(かたじけな)』は、「身にすぎた恩恵」と感じている作者の、
俳句の表現形式と、それを取り巻く人たちへの感謝の念のように思えてくるのだ。
それが、静かに沁みとおるように、伝わってくる句集である。
北杜青さんが第一句集『恭(かたじけな)』を上梓された。
句集の全句を一読した後、読みかえした印象的な文章がある。
2014年6月号「都市」誌上「俳句は人生だー福永耕二小論」に於いて
「(前略)特別な才能がなくても、全国を放浪しなくても、俳句という表現形式を
人生の等価のものとして愛し、日々誠実に生きることによって俳句形式からの
恩寵を受けることができるかもしれないと感じたのです。」と書いている。
俳句形式からの「恩寵」とは何か。それは、作者の生きる糧に、
喜びにつながるものである。それは、また俳句を身の内に取り入れて生きる、
厳しさでもある。
それ故、北杜さんは、真摯に誠実に、俳句に取り組まれてきたのだろう。
今回、上梓された句集『恭』には、全編に、作者のその俳句に対する姿勢が
投影されており、句に結実している。
春寒や人魚のもてる玻璃の胸
裏口にコック憩へる桜かな
氷旗古墳の風に吹かれをり

一八の風がむらさきとくやうに
朝顔の藍にはじまる木曾路かな

秋嶺や小窓に見ゆる厨ごと
林道の枯葉に韻を踏むごとし
影ふみに春着の影の加はりぬ
四季・春夏秋冬から以上の二句ずつ八句を選んだ。
他に取り上げるべき佳句は多々ありながらも、あえて平易な表現の句を選んだのは、
ありふれた日々の営みに向き合い、写生し、句を紡ぎだす、作者の作句の原点を、
そこに見たからである。
一句目、春寒とガラス細工の人魚の胸の取り合わせのひんやりとしたエロスの、手触り。
二句、三句目、さりげない日常を掬い上げ軽やかに詠む手堅さ。
四句目、下五「とくやうに」の表現により一八のむらさきの色が際立つ効果。
五句目、「朝顔の藍に始まる」の切り取りのうまさ。これにより木曾路の
澄んだ美しい景がはっきり見えてくる。
六句目、秋の彩りの嶺を背景に、山荘かもしれない。
家族の料理するはしゃいだ姿をそっとのぞき見て、幸せを感じている作者。
すがすがしい句である。

七句目、作者は、枯葉を韻を踏むようにひとり楽しんでいる。
その乾いた音までもが聞こえてくるようだ。
八句目、お正月の子供たちの影ふみ。春着の影でわかる。見つめる作者の
やさしい眼差しが印象的である。
気負いのない句作りに、穏やかな詩情が生まれているのは、確かな観察の眼が
あるからであり、それが確かな描写となって句に昇華しているのである。
この句集の題名『恭(かたじけな)』は、「身にすぎた恩恵」と感じている作者の、
俳句の表現形式と、それを取り巻く人たちへの感謝の念のように思えてくるのだ。
それが、静かに沁みとおるように、伝わってくる句集である。
スポンサーサイト
コメント