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早速、7月出版の主宰の句集「くれなゐ」の     1句鑑賞です!!!

2020/ 08/ 03
                 
        中西夕紀第4句集『くれなゐ』一句鑑賞       森有也

     ばらばらにゐてみんなゐる大花野 中西夕紀
 
        
                 花野
        
 都市のみんなが待ち望んでいた中西夕紀主宰の第4句集が出た。
句集『くれなゐ』を頂いた時、その深みのある「くれなゐ」色の
帯封に掲句を見つけて、たちまちあの高峰高原の花野が思い出された。
 
 句集「あとがき」にもある通り、超結社俳句大会の「こもろ日盛俳句会」の
最終日に行われる「高峰高原吟行」の際に詠まれたものである。
主宰はこの十年、日盛句会の選者として参加されているので、
都市の仲間も同道することが多い。
 
 さて、掲句は「ばらばら」という言葉が花野の広さを表している。
俳句を作ろうとして呻吟する人たちが大きな花野の中に点在しているのである。
そこに「ばらばら」という言葉と反対イメージの「みんなゐる」が置かれたのである。
これは読む人にとっては一瞬裏切られたような感覚に陥る。
しかし、この言葉は読み返せば読み返すほど、人に対するあたたかい愛情を
感じさせる。

                                       木と子

 
 この句が詠まれた現場にいた私たちからみれば、「みんな」は都市の仲間と
思いたい。主宰の弟子たちに対するあたたかい愛情だと理解したい。
しかし、この句が作られた場と関係のない人たちに繰り返し読まれ
鑑賞されていくうちに、「みんな」は「人間みんな」というように
解釈され鑑賞されてゆくに違いない。この句には人に対するあたたかさが
にじみ出ているからである。そうすることによって、この句は人間に対する
愛情に満ちた句として、普遍的価値を持ち始めるに違いない。

                                   蓮

 
 最後に、この短文の価値をおとしめるため、同じ場にいて詠んだ弟子の
一句を紹介する。
      
       一本の木あれば集ふお花畑    有也

            木とはな


主宰ののびのびとした俳句、熱心な指導にもかかわらず、
この不肖の弟子は縮こまった小さな俳句を脱することが出来ない。
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