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都市の1句(56)

2021/ 05/ 20
                 
       都市の一句(56)       丸山 斐霞

          廃屋の庭木を伝ひ烏瓜     宮本川野
 
 
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 この句は、私にとって田舎の原風景の一つとして思い起させてくれる一句である。
小・中生の頃、山間の村での友達とお互いに行き来し、互いの家の広い庭先で
キャチボールをして遊んだ思い出、時代を経て時々当時の同級生で集まると
一軒二軒と空き家が散見されるとのこと。

 そんな故郷に足を踏み入れる度に空き家は廃屋となって、かって手入れのあった
庭木も無惨な姿を浮き彫りにして存在する。
中でも昔遊んだ友の家が廃屋と化している姿を見るに付け、
時代の残酷ささえも感じていたたまれない思いである。

 この句は、この様な廃屋の庭木にも、夏は烏瓜の白い縁取りを糸状に裂き、
夜に美しい花となって主無き家の闇を守っているように思われる。
そして、秋には真っ赤な実を着けてその生態を幾年も繰り返し、
何時の日か帰る新たな主を待ち詫びている情景を詠いあげている様に私は感じる。

                karaur97.jpg


 作者の川野さんは、時代の流れの中に切なさとやるせない思いを
「廃屋」に託し、主が手塩に掛けて活き活きとして美しく作り上げた
「庭木」に生活環境の趣を添え、それ等の全てを失っても新たな生命は
自然という力で存続するという自然の強さを「烏瓜」という生態で詠いあげる、
その内容の奥深さに頭の下がる思いである。

 時代の必然性と自然の強さとそれを織りなし包み込んで作り上げたこの句は、
前述の様に私は受け止めますが、他の読む人によって感じ方の違いに
向けられた一句でもあるように私は思う。

                                   
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