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有也さんの素晴らしい句集を、青さんが読み解いてくれました!!

2021/ 07/ 18
                 
        森有也句集『鉄線花』小論 瓜の花の二句   北杜 青

          瓜の花無職の昼を耕せり

          孤独とは耕すことよ瓜の花


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 有也さんの第一句集『鉄線花』の中ほどに並んで掲載されています。
『鉄線花』は、嘱目の風景を丁寧に写生した句が中心ですが、
掲句は、一句目が人事句、二句目が心象句で、やや雰囲気の異なる
二句が並んでいることに注目しました。

 一句目は「無職の昼」の措辞に、有也さんらしい哀感のなかにも
飄々とした味わいがあり、優しく心震わされます。昼の修飾として
「無職の」と言葉を省略したことで、句の世界が広がり、
味わいが何重にも深まったと感じます。

 人事句を詠む場合、只事に終わる心配から事柄を強調したり、
技巧に傾斜しがちですが、有也さんの人事句は、本当に自然体で詠まれています。
十七文字の分を弁え、余白を残した詠みぶりが、読み手の心を
温かく包んでくれる人事句を生んでいるのだと感じます。
 
 二句目は、「孤独」という自身の感慨を「耕す」という具体的な行為、
営みになぞらえたことで、攫みどころのない心象の沼から具体的な
手応えを掬い取ることに成功しています。心象句は、自身の感慨を詠むことから、
単なる独りよがりの意見表明であったり、教訓めいた主張に陥りやすい
怖さがありますが、決して押し付けることのない有也さんの自然な詠みぶりから、
すっと心に落ちてきます。

 そしていずれの句も季語が「瓜の花」であることが眼目だと思います。
一読、耕すに対して瓜の花が近いように感じ、もう少し離した季語のほうがと
あれこれ入れ替えてみるのですが、すぐに自分の浅慮に気づきます。
瓜の花が動かないというより、この二句は、そもそも取合せの句ではなく、
有也さんが眼前の瓜の花を詠んだ句だと気づくのです。表現上、人事句であり
心象句ですが、作句の過程は、間違いなく眼前の瓜の花に長く佇み、
瓜の花との交感によって有也さんのなかに醸成された思いから
生まれた写生句だと感じます。

                                      桜綺羅

    
     幸せを探す妻の背春の土堤

     過去といふ重荷石榴の口開く

     十六夜の鍬を洗へば妻の声

 
 集中、決して多くはないですが、同じ感覚を得た句を掲げました。
普段、自身のことを語られることがない有也さんが、俳句の中で
時おり重たい口を開いて感慨の一端が滲むように詠まれたこれかの句に、
有也さんが俳句形式に託した思いがあるのだと感じます。


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