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俳句でおしゃべり-都市ー

「都市」での活動や俳句に繋がる文章や会員のエッセイ等の語り場にしていきたいと思います。

Top Page › 未分類 › なんと、田鶴さんは芭蕉の「おくの細道」をたどる7回目の旅いに出発!!
2010-10-02 (Sat) 21:25

なんと、田鶴さんは芭蕉の「おくの細道」をたどる7回目の旅いに出発!!

            奥の細道をたずねて
                              井上 田鶴 


9月6日、
雨がぽつぽつ降り出した。
久しぶりの雨だ。こんな日は家で雨音を聞きながら
ゆっくりしたいものだ。

しかし今回は、奥の細道の7回目。
駅へ急いだ。 

8時上野出発、バスは東北道をひたすら走る。
スイスイスイの水曜日、まったく渋滞がない。

前回の白川、須賀川を過ぎ、二本松で一般道に出た。
隣の席は『私は絶対晴れ女』女史なのに
亀谷観音堂では雨となった。
句碑がしっとりと濡れていた。

        ume.jpg



   人も見ぬ春や鏡の裏の梅   
                    はせを


昼食を終える頃は本降りとなり,安達が原ふるさと村に向かう。
観世寺に入ると、左手に大きな岩が折り重なり、
その上に大きな扁平な岩がのり庇となり
雨露が凌げる岩屋となっていた。
ここの岩やで泊めた旅人を殺害したという。

宝物殿では、鬼婆になった謂れを説明する、おどろおどろした絵が
掲げられ,錆びた包丁まで展示してあった。

阿武隈川を渡り、歌枕の地、文字摺石のある観音堂に行く。
苔むした大きな岩は鉄柵に囲まれていた。
芭蕉のころは見られなかったが、掘り出され静まり返っていた。

みちのくのしのぶもぢずり、、、、と百人一首では知っていたが
意味を知ったのははじめてで、絹を石の上に置き
文字摺草での染めが都で評判となっていたとか。
草で岩をこすると、思いの人が出るとか。
住職の丁寧な説明と雨に烟る境内の静けさがよかった。

次の日は、まず飯坂温泉にいき、芭蕉の泊まった宿跡を見た。
昔ながらの町並みや古い浴場があり、風情はあるが
活気がなく寂れていた。

次は、義経に従い討ち死にした佐藤氏の菩提寺医王寺に行く。
杉並木が美しい。佐藤兄弟の母、嫁のことそして佐藤兄弟の死を
滔々と説明する寺男に感心した。

   笈も太刀もさつきにかざれ紙のぼ里   

                       はせを

ドライブインでの昼食の後、バスに乗る。10メートル先で降ろされた。
国道4号線なので、横断させるわけには行かないという会社の方針とか。

きつい坂を上ると碑があった。
ここは、奥州街道で最もきつい坂道だったとか。
葛や薄のなかを進むと芭蕉の時代に入っていくようだった。

              すすき

            
鎌倉軍の侵入を防ぐために掘った2重の空堀は、
阿武隈川まで続いた。これを大木戸という。

しかし、空堀の効果空しく奥州軍は敗れ、10日余で平泉も
灰燼に帰したという。

みちのくは義経にまつわる伝説が多く、芭蕉もそれにかかわる寺を
たずねている。

次の塩釜、松島、楽しみだ。
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最終更新日 : -0001-11-30

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