詩人良さんの句集「紫苑」を新人、風さんが深く詠みほぐしてくださいました。
2010年11月08日 公開
「紫苑」菅井良輔句集を読んで
小 林 風
この頃やっと俳句手帳を忘れずに持って出るという行為が
身についてくるようになりました。今の思い、この景色を
今ここで作らなければ泡のように消えてしまうものだと実感し
メモを取るようになったのですが帰宅して手帳を開くと愕然とし
結社に入ったことを悔やんでいる毎日です。
そんな時、都市での存在感を示していらっしゃる
菅井良さんから句集が届きました。
とても嬉しかったのですが、困惑してしまいました。
同じ生命体として生きている以上、何か答えなければならない。
感じたことを初心者なりに書いてみました。
○「紫苑」という句集について
ゆれうごくひかり紫苑のうしろから
秋の大空に微かに風が揺れ動いている。
その間を通るように光が思い煩うことなく伸び伸びと清楚な色を
映し出している。
そのような紫苑の花が好きなのでしょう。
句集の中から、繊細で温かくやさしい眼差しが見受けられるのは
良さんの人間性だと思います。
○季語の使い方について
季語の使い方をよく研究していらっしゃるので、
初心の私は何回か歳時記を引きなおして傍題であったことに気づき
苦笑してしまいました。
次の二句がそうです。
雲上のこゑおりてくる一花草
季語が一輪草ではなく、一花草でなくてはならない句だったのですね。
足もとに鳩のよりくるついりかな
入梅が漢字でなくて平仮名にする心配りも感動の一つです。
又季語が歳時記に載っていないことがあり、例えば
海の風あらせいとうにゆきどまる
広辞苑でひくと出ていたのですが確認のため本屋に行き
他社の歳時記を見てみました。
何てことないストックの花でした。
○切れについて
「は」を使用すると説明的になってしまいがちですが
次の二句は軽くなめらかで気持ちの良い句に出会えたとおもえます。
星の夜つららの先は雪を突く
朝桜越してゆく子は手をあげて
特に、上の句は澄んで冷え冷えとした夜星も冴えている
空気を切り裂くような夜がせまってきます。

○ちよっと疑問
宵宮の雨きらきらと弊ぬらす
の句ですが弊でなくて幣(ぬさ)の誤りでないかと考えましたが
句集として出版されているからには弊にちがいないと
自問自答しました。
○全句心通うものがあったのですが、次に八句選んでみました。
よせてきし波の明るき鱵 かな
波が寄せてきたところをみると波が明るく動いている。
その下に鱵 が泳いでいた。
海の底の春の広がりを感じました。
木の葉ちる白粥啜る音たてて
寒くなってきた晩秋に温かい白粥を食べている。
もしかすると病み状態で木の葉を眺めているのかもしれません。
石を切る鑿に蜥蜴の舌の先
近来、庭に蜥蜴が多くなり日本全国増えてきているのかなあと
おもえてきました。作者の目は、蜥蜴になって石切り場を
走りまわっていたのでしょうか。
尻尾でなくて舌が面白いですね。
休止符に音の生まるる冬木の芽
ポンポンと小さい芽がでてもう春がやってくる。
春を待ちわびた冬木の瞬間がよく捉えられていて
思わずごくりと唾をのみこんでしまいました。
鳴く鳶にふつと浮力や春の山
鳴きながら飛んでいる鳶がふつっと停止してういていたように見えた。
長閑な春の山に鳶の光景が目にとびこんできます。
音ちがふ川にはさまれ猫やなぎ
大きなふくろうのような耳で聞いていたのでしょうか。
繊細な感覚が伺えます。

暗がりを荒野聖のいづこより
高野聖をかけているのでしょうか。誰でしょう。
何だか面白い。
鶴きたる天つ印にふれたとよ
鶴の降り立つ様子を見ていたら頭上に赤い印をつけて
天上人にあってきたように優雅に舞い降りてきた。
そうかそうかと納得。幽玄。
おわりに
句集を読ませて頂き、良さんには、感謝すると同時に
勝手な解釈をお許し下さい。
私の俳句作りを救うきっかけになりました。
小 林 風
この頃やっと俳句手帳を忘れずに持って出るという行為が
身についてくるようになりました。今の思い、この景色を
今ここで作らなければ泡のように消えてしまうものだと実感し
メモを取るようになったのですが帰宅して手帳を開くと愕然とし
結社に入ったことを悔やんでいる毎日です。
そんな時、都市での存在感を示していらっしゃる
菅井良さんから句集が届きました。
とても嬉しかったのですが、困惑してしまいました。
同じ生命体として生きている以上、何か答えなければならない。
感じたことを初心者なりに書いてみました。
○「紫苑」という句集について
ゆれうごくひかり紫苑のうしろから
秋の大空に微かに風が揺れ動いている。
その間を通るように光が思い煩うことなく伸び伸びと清楚な色を
映し出している。
そのような紫苑の花が好きなのでしょう。
句集の中から、繊細で温かくやさしい眼差しが見受けられるのは
良さんの人間性だと思います。
○季語の使い方について
季語の使い方をよく研究していらっしゃるので、
初心の私は何回か歳時記を引きなおして傍題であったことに気づき
苦笑してしまいました。
次の二句がそうです。
雲上のこゑおりてくる一花草
季語が一輪草ではなく、一花草でなくてはならない句だったのですね。
足もとに鳩のよりくるついりかな
入梅が漢字でなくて平仮名にする心配りも感動の一つです。
又季語が歳時記に載っていないことがあり、例えば
海の風あらせいとうにゆきどまる
広辞苑でひくと出ていたのですが確認のため本屋に行き
他社の歳時記を見てみました。
何てことないストックの花でした。
○切れについて
「は」を使用すると説明的になってしまいがちですが
次の二句は軽くなめらかで気持ちの良い句に出会えたとおもえます。
星の夜つららの先は雪を突く
朝桜越してゆく子は手をあげて
特に、上の句は澄んで冷え冷えとした夜星も冴えている
空気を切り裂くような夜がせまってきます。

○ちよっと疑問
宵宮の雨きらきらと弊ぬらす
の句ですが弊でなくて幣(ぬさ)の誤りでないかと考えましたが
句集として出版されているからには弊にちがいないと
自問自答しました。
○全句心通うものがあったのですが、次に八句選んでみました。
よせてきし波の明るき鱵 かな
波が寄せてきたところをみると波が明るく動いている。
その下に鱵 が泳いでいた。
海の底の春の広がりを感じました。
木の葉ちる白粥啜る音たてて
寒くなってきた晩秋に温かい白粥を食べている。
もしかすると病み状態で木の葉を眺めているのかもしれません。
石を切る鑿に蜥蜴の舌の先
近来、庭に蜥蜴が多くなり日本全国増えてきているのかなあと
おもえてきました。作者の目は、蜥蜴になって石切り場を
走りまわっていたのでしょうか。
尻尾でなくて舌が面白いですね。
休止符に音の生まるる冬木の芽
ポンポンと小さい芽がでてもう春がやってくる。
春を待ちわびた冬木の瞬間がよく捉えられていて
思わずごくりと唾をのみこんでしまいました。
鳴く鳶にふつと浮力や春の山
鳴きながら飛んでいる鳶がふつっと停止してういていたように見えた。
長閑な春の山に鳶の光景が目にとびこんできます。
音ちがふ川にはさまれ猫やなぎ
大きなふくろうのような耳で聞いていたのでしょうか。
繊細な感覚が伺えます。

暗がりを荒野聖のいづこより
高野聖をかけているのでしょうか。誰でしょう。
何だか面白い。
鶴きたる天つ印にふれたとよ
鶴の降り立つ様子を見ていたら頭上に赤い印をつけて
天上人にあってきたように優雅に舞い降りてきた。
そうかそうかと納得。幽玄。
おわりに
句集を読ませて頂き、良さんには、感謝すると同時に
勝手な解釈をお許し下さい。
私の俳句作りを救うきっかけになりました。
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