最近仲間になってくださった茫子さんが、名調子で語ってくださいます。
2010年12月12日 公開
ご存知とは思いますが
渡辺 茫子
時は元禄十五年師走の十四日。
折しも降り積もった雪を踏みしめ、鎖帷子(かたびら)に
身を固めた大石内蔵助率いる四十六名の侍。
目指すは本所松坂町 吉良上野介上屋敷。と書くと
講談のようですね。
実は、この師走と雪が曲者なんです。
私達の中には師走イコール十二月という意識が
何時の間にか植え付けられておりますよね。
ですから、これは元禄十五年の十二月十四日と
とらえがちですよね。
(確か泉岳寺では新暦の十二月十四~十五日を
義士祭としております。)
でも良く考えてみて下さい。
江戸時代。高層ビルや東京タワーのない、いうなれば
赤城颪、筑波颪がまともに吹きつけるご城下といえど
十二月中旬に積もるほど雪が降りますか?
実はこの日は現在の暦でいうと一月二十一日
(うるう月という変なものが間にはさまっていましたので)
にあたるんです。
このように誤解されそうな例は幾つもあります。
古くは西行の「願わくば 花の下にて春死なむ
その如月の望(もちづき)の頃」の解釈として、如月イコール
二月したがって、この花は桜でなく梅の花だなどと
珍説も飛び出す始末。
「花」と言えば「桜」と定着したのは平安時代からです。

さらに言えば「五月(さつき)晴」、、、。
五月(さつき)は五月だからこれは五月頃の晴れ渡った空のことだと
気象予報士までが、テレビで「澄みきった五月晴の下(もと)、、、」
と言う始末です。
これ正しくは「梅雨晴れ間」とか「梅雨あけの晴天」
あと例えば「氷雨」は夏の季語で『♪外は冬の雨♪』では
ありませんし、「甘酒」も夏の季語ですしもっと云えば
彼岸は春と秋二度ありますが、只彼岸と言えば春のこと
秋には「秋彼岸」というのです。
月といえば秋、虫となると秋鳴く虫。

祭は夏、秋に行われる祭礼は秋祭と秋をつけますね。
そうそう、七夕は秋です。
お解りですよね。
旧暦七月七日は新暦の立秋後にあたるからなんですね。
くだらないことばかりで、、、。
渡辺 茫子
時は元禄十五年師走の十四日。
折しも降り積もった雪を踏みしめ、鎖帷子(かたびら)に
身を固めた大石内蔵助率いる四十六名の侍。
目指すは本所松坂町 吉良上野介上屋敷。と書くと
講談のようですね。
実は、この師走と雪が曲者なんです。
私達の中には師走イコール十二月という意識が
何時の間にか植え付けられておりますよね。
ですから、これは元禄十五年の十二月十四日と
とらえがちですよね。
(確か泉岳寺では新暦の十二月十四~十五日を
義士祭としております。)
でも良く考えてみて下さい。
江戸時代。高層ビルや東京タワーのない、いうなれば
赤城颪、筑波颪がまともに吹きつけるご城下といえど
十二月中旬に積もるほど雪が降りますか?
実はこの日は現在の暦でいうと一月二十一日
(うるう月という変なものが間にはさまっていましたので)
にあたるんです。
このように誤解されそうな例は幾つもあります。
古くは西行の「願わくば 花の下にて春死なむ
その如月の望(もちづき)の頃」の解釈として、如月イコール
二月したがって、この花は桜でなく梅の花だなどと
珍説も飛び出す始末。
「花」と言えば「桜」と定着したのは平安時代からです。

さらに言えば「五月(さつき)晴」、、、。
五月(さつき)は五月だからこれは五月頃の晴れ渡った空のことだと
気象予報士までが、テレビで「澄みきった五月晴の下(もと)、、、」
と言う始末です。
これ正しくは「梅雨晴れ間」とか「梅雨あけの晴天」
あと例えば「氷雨」は夏の季語で『♪外は冬の雨♪』では
ありませんし、「甘酒」も夏の季語ですしもっと云えば
彼岸は春と秋二度ありますが、只彼岸と言えば春のこと
秋には「秋彼岸」というのです。
月といえば秋、虫となると秋鳴く虫。

祭は夏、秋に行われる祭礼は秋祭と秋をつけますね。
そうそう、七夕は秋です。
お解りですよね。
旧暦七月七日は新暦の立秋後にあたるからなんですね。
くだらないことばかりで、、、。
スポンサーサイト