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今回は読書家の心さんに文人俳句として吉屋信子氏を取り上げてもらいました。
2009/ 06/ 19 吉屋信子の俳句 栗山 心
梅雨暑し女子プロレスの阿鼻叫喚
俳人としての吉屋信子との出会いは、この句でした。
「俳句で女子プロレスを詠むなんて!」と、衝撃を受け、
見れば作者は「吉屋信子」。
まさかあの少女小説家の?
明治29年、官史である父・雄一と母・マサの間に、
四人の兄のあとの長女として生まれ、当時の典型として
良妻賢母を目指すべく厳しく育てられますが、
文学への思いがやまず、文芸雑誌などに投稿。
やがて、大正5年、「花物語」のヒットにより、「少女小説」
という新しいジャンルを確立。
同作品は、大正13年頃まで書き継がれ、
戦後も版を重ねてロングセラーとなります。
中原淳一の挿絵と合わせて、青春の書として
心に残っている世代の方も多いようです。
新聞小説や婦人雑誌の連載など、次第に活躍の場を
広げ、押しも押されもせぬ大衆小説家として
一時代を築いた信子ですが、戦争によって断筆を
余儀なくされます。
疎開した鎌倉で、星野立子との親交により、
高浜虚子に師事、「ホトトギス」に投句を始め、
元々俳句には慣れ親しんでいたため、
すぐに頭角を現します。
初雁にわが家月番の札掛けて
昭和19年、「ホトトギス」に初入選した句。
隣組の月替わり当番、という役割のあった、
戦時中の暮らしを描いています。
没後の昭和49年刊行された「吉屋信子句集」では、
マスクとり唇あでに生まれけり
七五三子よりも母の美しく 瀧井孝作選
などの、女性の美しさを賛美した句。
百合活けて聖母の處女を疑はず
制服の襟よく拭いて卒業す
などのような、信子の初期の小説を思わせるような句。
蚊帳釣りて険しき世をばへだてたり
夕刊に世相険しや冬灯
社会に対する厳しさ、孤独感を詠んだ句。
多彩な著書のある信子らしく、幅広い句を
詠んだようです。
また、虚子による添削のあとが見られるのも
興味深く感じられます。
ぼんのくぼきよらにくぼみ春灯
原句は、「秋灯」。「春灯」で、女性のはんなりとした
美しさがより際立ちました。
日脚のぶ拭かぬ机の埃かな
原句は「机塵拭かねば目立ち日脚のぶ」。
やや説明的で硬い原句に対して、
春へと向かう喜びがあふれているような句になりました。
「虚子師の御添削大いに赤面。
発奮、句の姿に考へ及ぶ」と書かれており
師に対する絶大な信頼を感じます。
また当時すでに大作家であったにも関わらず
謙虚な姿勢の、信子の生真面目さを思うと、
句作でも一流であった理由がわかるような気がします。
秋灯机の上の幾山河
鎌倉の吉屋信子記念館には、晩年の信子が使った机が
そのまま置かれています。
この上で綴られた物語を生みだすための、壮絶な孤独。
赤い二重丸や丸がついた句帳をうれしそうに
眺めていた信子に、俳句というもうひとつの世界が
開けていたことを嬉しく思います。

梅雨暑し女子プロレスの阿鼻叫喚
俳人としての吉屋信子との出会いは、この句でした。
「俳句で女子プロレスを詠むなんて!」と、衝撃を受け、
見れば作者は「吉屋信子」。
まさかあの少女小説家の?
明治29年、官史である父・雄一と母・マサの間に、
四人の兄のあとの長女として生まれ、当時の典型として
良妻賢母を目指すべく厳しく育てられますが、
文学への思いがやまず、文芸雑誌などに投稿。
やがて、大正5年、「花物語」のヒットにより、「少女小説」
という新しいジャンルを確立。
同作品は、大正13年頃まで書き継がれ、
戦後も版を重ねてロングセラーとなります。
中原淳一の挿絵と合わせて、青春の書として
心に残っている世代の方も多いようです。
新聞小説や婦人雑誌の連載など、次第に活躍の場を
広げ、押しも押されもせぬ大衆小説家として
一時代を築いた信子ですが、戦争によって断筆を
余儀なくされます。
疎開した鎌倉で、星野立子との親交により、
高浜虚子に師事、「ホトトギス」に投句を始め、
元々俳句には慣れ親しんでいたため、
すぐに頭角を現します。
初雁にわが家月番の札掛けて
昭和19年、「ホトトギス」に初入選した句。
隣組の月替わり当番、という役割のあった、
戦時中の暮らしを描いています。
没後の昭和49年刊行された「吉屋信子句集」では、
マスクとり唇あでに生まれけり
七五三子よりも母の美しく 瀧井孝作選
などの、女性の美しさを賛美した句。
百合活けて聖母の處女を疑はず
制服の襟よく拭いて卒業す
などのような、信子の初期の小説を思わせるような句。
蚊帳釣りて険しき世をばへだてたり
夕刊に世相険しや冬灯
社会に対する厳しさ、孤独感を詠んだ句。
多彩な著書のある信子らしく、幅広い句を
詠んだようです。
また、虚子による添削のあとが見られるのも
興味深く感じられます。
ぼんのくぼきよらにくぼみ春灯
原句は、「秋灯」。「春灯」で、女性のはんなりとした
美しさがより際立ちました。
日脚のぶ拭かぬ机の埃かな
原句は「机塵拭かねば目立ち日脚のぶ」。
やや説明的で硬い原句に対して、
春へと向かう喜びがあふれているような句になりました。
「虚子師の御添削大いに赤面。
発奮、句の姿に考へ及ぶ」と書かれており
師に対する絶大な信頼を感じます。
また当時すでに大作家であったにも関わらず
謙虚な姿勢の、信子の生真面目さを思うと、
句作でも一流であった理由がわかるような気がします。
秋灯机の上の幾山河
鎌倉の吉屋信子記念館には、晩年の信子が使った机が
そのまま置かれています。
この上で綴られた物語を生みだすための、壮絶な孤独。
赤い二重丸や丸がついた句帳をうれしそうに
眺めていた信子に、俳句というもうひとつの世界が
開けていたことを嬉しく思います。

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