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俳句でおしゃべり-都市ー

「都市」での活動や俳句に繋がる文章や会員のエッセイ等の語り場にしていきたいと思います。

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2011-09-09 (Fri) 20:14

中西 夕紀主宰の待望の句集「朝涼」が            出版されました。そこで心さんが、1句鑑賞をしてくださいました。

       『朝涼』一句鑑賞
                 
                 栗山 心

     

        天の川の闇


     いくたびも手紙は読まれ天の川  中西 夕紀


中西主宰の第三句集『朝涼』には、
平成14年から22年の句が収められている。

平成14、15年の「玉虫」、平成16、17、18年の「一睡」、
平成19、20年「一誌」、平成21、22年の「天の川」の
四つの章立て。

この句は「天の川」の章のタイトルにもなっている。
「天の川」は星の美しい、秋の季語。平易な言葉で、
天の川のもと、すでに何度も読んだ手紙を、
繰り返し読む人の姿を描いた。

       ランプ


主宰が手紙を詠んだ句といえば、

     空白の涼しき葉書頂きぬ(『さねさし』)

という句が、句集にある程度で、「手紙」というアイテムが
句に登場することは、私が知る限りでは少ない。
しかも、「天の川」という、「七夕」を連想させて
甘くなりがちな季語も、あまり使われることはないように思う。

前2冊の句集に比べて、「吾」「わが」など、
自分を詠んだ句が少ないのも、『朝涼』の特徴である。
たとえば、前二冊の句集には、こんな句がある。


     吾にほひ吾れにわからず藍浴衣(『都市』)

     録音のわが悪声の春の暮(『さねさし』)

『朝涼』では、自分自身について詠むことが少ないだけでなく、
常にストイックなまでに、自分の存在を消し、
徹底的に写生に徹している。

詠まれる光景は自分独自のものだが、そこに、
作者の息遣いや体臭を感じる、というものでもない。
透明な存在としての作者が、句を作っているように感じた。

先日、「銀漢」の伊藤伊那男主宰にお目にかかることがあり、
結社誌「銀漢」の最新号を頂いた。

その中の「いのちのうた」という主宰座談会の中で、
『繰り返しになりますが、「心」ではなく、「物」を描写しても、
その作者の目と心を通して濾過されて出てきたからには、
実はその人の主観が入っているのです。
抑えても抑えても主観が滲み出てくるものなのです。
だからわざわざ主観を入れて作ろうとしなくてもいいのです。』
という、伊藤主宰の言葉があった。

『朝涼』は、そのような姿勢で作られた句集なのだろう、
と思った。あまり、作者の境遇に思いを寄せて句を読むことは
好きではないが、主宰はこの句集を編む月日の中で、
結社を持つ、という喜びもあった半面、父上や大切な方を
何人も見送っている。


    天の川
  


「天の川」の句からは、「手紙」が象徴する、
失った人や、失った時間に対する、
深い愛情と慈しみを感じることが出来る。

徹底的に主観を排除した上で、抽出した思いが、
普遍的に人の心を打つのではないだろうか。
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最終更新日 : -0001-11-30

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