都市の新会員であり ブログの達人の 透さんの登場です。
2009年07月30日 公開
「好きな季語」 山城 透
俳句をやるようになって何がよかったというと、
真っ先に思いつくのは「自分の生活の回りにあるものに
目が行くようになった」ということです。
たとえば仕事に出かける駅までの道で見かける
植物や動物、天気の移り変わりなどなど、
それまでは目にしていて気にもかけていなかった
いろんなことが俳句を詠むときのきっかけになると
いうことを、最近本当に実感するようになりました。
さて、手元にある「季寄せ」をパラパラとめくると、
本当に沢山の季語が掲載されています。
漫然と読むだけでもなかなか楽しいのですが、
その中には今では(いえ、今の自分の生活では)
使わないようなものも結構あります。
たとえば三夏の季語でいうと
「水車踏む」「立版古」「水売」、
初夏だと「セル」、
仲夏だと「井水増す」「印地打ち」「薬猟(くすりがり)」、
晩夏では「水番・水争」「水飯」などなど。
そんな季語がある一方で、意識はしていないまでも
よく使う(使ってしまう)季語があります。
身近にある季語といえばいいますか、
自分の場合だとそれは「猫の恋」「春雨」(春)だったり
「こがらし」(冬)だったりします。
夏の季語では「雲の峰」(入道雲という傍題も
ありますね)をよく使っているようです。
そしてもうひとつ、夏の季語でよく使うのが
「五月川」です。
「梅雨のため濁水滔滔と推量を増した川」と
季寄せにあります。
自宅のすぐそばを流れる境川沿いに駅までの道が
あるので、自然と川の景色を描いた句も出来て
しまうようです。
ただこの「五月川」季寄せのほかによく使う
角川文庫の「俳句歳時記第四版」には掲載されて
いません。
他の大きな歳時記で確認はしていませんが、
今ひとつメジャーな(というのは変ですね)
季語ではないようです。
この季語を使った例句は調べた限りは
あまりありません。
五月川心細さの一夜かな 子規
五月川心細く水まさりたる 子規
郷の闇深まり鳴れり五月川 富田潮児
五月川生簀に錠をおろしけり 富田うしほ
その映画見忘れまじく五月川 佐々木六戈
くらいでしょうか。
個人的には上記の中では潮児の句が好きですが、
それは闇の中、どうどうと恐ろしげな音を立てて
流れる水かさの増した川を目の前に見ているような
(それはまた、台風のとき停電した家の中で
ドキドキしながら過ごす夜のような感じです)
一種の高揚感を感じることが出来るからかもしれません。
これからも、好きな季語を大切に、少しずつその数を
増やしながら俳句を詠んでいきたいと思います。
無灯火の二人乗りです五月川 透
俳句をやるようになって何がよかったというと、
真っ先に思いつくのは「自分の生活の回りにあるものに
目が行くようになった」ということです。
たとえば仕事に出かける駅までの道で見かける
植物や動物、天気の移り変わりなどなど、
それまでは目にしていて気にもかけていなかった
いろんなことが俳句を詠むときのきっかけになると
いうことを、最近本当に実感するようになりました。
さて、手元にある「季寄せ」をパラパラとめくると、
本当に沢山の季語が掲載されています。
漫然と読むだけでもなかなか楽しいのですが、
その中には今では(いえ、今の自分の生活では)
使わないようなものも結構あります。
たとえば三夏の季語でいうと
「水車踏む」「立版古」「水売」、
初夏だと「セル」、
仲夏だと「井水増す」「印地打ち」「薬猟(くすりがり)」、
晩夏では「水番・水争」「水飯」などなど。
そんな季語がある一方で、意識はしていないまでも
よく使う(使ってしまう)季語があります。
身近にある季語といえばいいますか、
自分の場合だとそれは「猫の恋」「春雨」(春)だったり
「こがらし」(冬)だったりします。
夏の季語では「雲の峰」(入道雲という傍題も
ありますね)をよく使っているようです。
そしてもうひとつ、夏の季語でよく使うのが
「五月川」です。
「梅雨のため濁水滔滔と推量を増した川」と
季寄せにあります。
自宅のすぐそばを流れる境川沿いに駅までの道が
あるので、自然と川の景色を描いた句も出来て
しまうようです。
ただこの「五月川」季寄せのほかによく使う
角川文庫の「俳句歳時記第四版」には掲載されて
いません。
他の大きな歳時記で確認はしていませんが、
今ひとつメジャーな(というのは変ですね)
季語ではないようです。
この季語を使った例句は調べた限りは
あまりありません。
五月川心細さの一夜かな 子規
五月川心細く水まさりたる 子規
郷の闇深まり鳴れり五月川 富田潮児
五月川生簀に錠をおろしけり 富田うしほ
その映画見忘れまじく五月川 佐々木六戈
くらいでしょうか。
個人的には上記の中では潮児の句が好きですが、
それは闇の中、どうどうと恐ろしげな音を立てて
流れる水かさの増した川を目の前に見ているような
(それはまた、台風のとき停電した家の中で
ドキドキしながら過ごす夜のような感じです)
一種の高揚感を感じることが出来るからかもしれません。
これからも、好きな季語を大切に、少しずつその数を
増やしながら俳句を詠んでいきたいと思います。
無灯火の二人乗りです五月川 透
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