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今回も新会員の方にお願いしました。 平野皓さんのお気に入りの吟行地の紹介です。
2009/ 08/ 22 吟行地紹介~厚木市飯山観音~ 平野皓
小田急線本厚木駅から上飯山、上煤ヶ谷、宮ヶ瀬行き
バスに約20分乗ると飯山観音前の停留所に着く。
バスを降りると眼下には相模川の支川である小鮎川が
流れている。少し戻った所に朱塗りの庫裏橋があり、
橋を渡ると道は3本に別れている。
真ん中の道は坂東三十三番札所の六番札所である
飯上山長谷寺へ向かうが、左の道をほんの少し行くと
行基菩薩が建立したと伝えられる飯山鎮守の
龍蔵神社がある。
神社は樟が社殿の屋根を覆っているが大きくはない。
神社の前には小鮎川の堰がありその下には
1m位の緋鯉が10匹以上群れている。
戻って右側の道を行くと右手の畑には柿と栗の木が
約10本ずつ植えられている。左手は捨て畑で
夏草が生い茂る。
100m位進むと銀杏の大樹が2本聳えており、
左手に廃寺がある。その縁の下には蟻地獄が
100位餌を待っている。
廃寺の朽ちかけた山門から100m程先に、
国指定重要文化財の木造阿弥陀如来坐像が
安置されている金剛寺がある。
金剛寺までの路には紫陽花が植えられ、その内側には
鉄製の藤棚があり季節には藤の房が揺れている。
藤棚の周辺は諸葛菜が一面に咲き紫の風を起こす。
金剛寺境内には百日紅などが見られる。
畑土の乾ききつたるダリアかな
青葡萄の袋ふつくらしてきたり 平野 皓
道を戻り、真ん中の道へ入ると老舗の湯宿が
両側にあり、手入れの行き届いた庭にはいろいろな
樹木や草花が見られる。
この辺りは飯山温泉郷である。ゆるやかな坂を
上ってゆくと、道は車道と散策路に分かれる。
散策路から石段の頂の長谷寺まで桜並木が続く。
散策路の右手は小さな竹林と民家があり、
民家の庭には芭蕉の葉が風に揺らいでいる。
左手は小流れがあり額や水引の花など季節の草花が
咲いており、水辺には芹が自生し、かは蜻蛉や
あめんぼうの姿を見ることもある。
散策路を出ると車道と合流し、そこに坂東六番霊場
飯上山長谷寺と刻まれた大きな石碑が建っている。
その先はすぐに道幅の狭い車道と石段に分かれる。
石段は昔の人の脚に合わせて石の幅が狭く段差も
低めである。石段の両脇には桜、山茶花、南天などの
木が植えられている。
石段の中ほどで車道と合流し駐車場に出る。
その左側の土手には萩や山百合が見られ、
右側は山の上にしては大きな広場があり
桜の木が木下闇をつくるほど植えられている。
楓もあり秋に紅葉すると見事である。
桜の咲くころは桜祭が催されて出店も並ぶ。
この桜の広場は、50年位前まで草競馬が開催されて
小学校は午前中で休みとなり近隣の村から多くの人が
集り、たいそうな賑わいだったそうだ。
広場の反対側の土手の先から再び石段が続き
山門には少し貧弱な仁王像が立っている。
山門を過ぎて更に石段を登ると右側に
樹齢400年と伝えられる犬槙の大樹が聳えている。
左側には小さな池があり蝌蚪の紐、数珠子、
お玉じゃくし、蛙合戦などが見られ、糸蜻蛉、
あめんぼうも何時の間にか現れる。
そして以前持仏堂と呼ばれていた庫裏が建っている。
川島彷徨子主宰の「河原」、そして木内彰志主宰の
「海原」の人達が30年以上この飯山観音の地で
吟行句会を行い、句会場にこの持仏堂をお借りして
いたとのことである。
最後の石段を登ると樫、樟、榧などの大樹に囲まれて
観音堂長谷寺が鎮もっている。この境内からは
横浜みなとみらいのランドマークタワーがよく見える。
大樹の下のベンチに腰を下ろしていると
心地よい風が吹いて来て、不如帰や鶯の鳴き声も
秋頃まで聞くことが出来る。
観音堂の裏手から先程の駐車場へ降りる迂回路があり
路の両側に著莪の花が一面に咲いている時期もある。
駐車場を抜け桜の広場を通り金剛寺へ続く小径が
ある。藪椿の枝を潜りながら下ってゆくと
黒揚羽が突然飛び出て来たり、烏瓜がぶら下がっている。
何より嬉しいのは冷え込んだ朝、霜柱が5cm程に
育ち、朝日に光っているのを見ることだ。
広場から金剛寺までは10分程度で降りてしまう。
ゆっくり歩いて全体で1時間半程度の吟行地である。
小田急線本厚木駅から上飯山、上煤ヶ谷、宮ヶ瀬行き
バスに約20分乗ると飯山観音前の停留所に着く。
バスを降りると眼下には相模川の支川である小鮎川が
流れている。少し戻った所に朱塗りの庫裏橋があり、
橋を渡ると道は3本に別れている。
真ん中の道は坂東三十三番札所の六番札所である
飯上山長谷寺へ向かうが、左の道をほんの少し行くと
行基菩薩が建立したと伝えられる飯山鎮守の
龍蔵神社がある。
神社は樟が社殿の屋根を覆っているが大きくはない。
神社の前には小鮎川の堰がありその下には
1m位の緋鯉が10匹以上群れている。
戻って右側の道を行くと右手の畑には柿と栗の木が
約10本ずつ植えられている。左手は捨て畑で
夏草が生い茂る。
100m位進むと銀杏の大樹が2本聳えており、
左手に廃寺がある。その縁の下には蟻地獄が
100位餌を待っている。
廃寺の朽ちかけた山門から100m程先に、
国指定重要文化財の木造阿弥陀如来坐像が
安置されている金剛寺がある。
金剛寺までの路には紫陽花が植えられ、その内側には
鉄製の藤棚があり季節には藤の房が揺れている。
藤棚の周辺は諸葛菜が一面に咲き紫の風を起こす。
金剛寺境内には百日紅などが見られる。
畑土の乾ききつたるダリアかな
青葡萄の袋ふつくらしてきたり 平野 皓
道を戻り、真ん中の道へ入ると老舗の湯宿が
両側にあり、手入れの行き届いた庭にはいろいろな
樹木や草花が見られる。
この辺りは飯山温泉郷である。ゆるやかな坂を
上ってゆくと、道は車道と散策路に分かれる。
散策路から石段の頂の長谷寺まで桜並木が続く。
散策路の右手は小さな竹林と民家があり、
民家の庭には芭蕉の葉が風に揺らいでいる。
左手は小流れがあり額や水引の花など季節の草花が
咲いており、水辺には芹が自生し、かは蜻蛉や
あめんぼうの姿を見ることもある。
散策路を出ると車道と合流し、そこに坂東六番霊場
飯上山長谷寺と刻まれた大きな石碑が建っている。
その先はすぐに道幅の狭い車道と石段に分かれる。
石段は昔の人の脚に合わせて石の幅が狭く段差も
低めである。石段の両脇には桜、山茶花、南天などの
木が植えられている。
石段の中ほどで車道と合流し駐車場に出る。
その左側の土手には萩や山百合が見られ、
右側は山の上にしては大きな広場があり
桜の木が木下闇をつくるほど植えられている。
楓もあり秋に紅葉すると見事である。
桜の咲くころは桜祭が催されて出店も並ぶ。
この桜の広場は、50年位前まで草競馬が開催されて
小学校は午前中で休みとなり近隣の村から多くの人が
集り、たいそうな賑わいだったそうだ。
広場の反対側の土手の先から再び石段が続き
山門には少し貧弱な仁王像が立っている。
山門を過ぎて更に石段を登ると右側に
樹齢400年と伝えられる犬槙の大樹が聳えている。
左側には小さな池があり蝌蚪の紐、数珠子、
お玉じゃくし、蛙合戦などが見られ、糸蜻蛉、
あめんぼうも何時の間にか現れる。
そして以前持仏堂と呼ばれていた庫裏が建っている。
川島彷徨子主宰の「河原」、そして木内彰志主宰の
「海原」の人達が30年以上この飯山観音の地で
吟行句会を行い、句会場にこの持仏堂をお借りして
いたとのことである。
最後の石段を登ると樫、樟、榧などの大樹に囲まれて
観音堂長谷寺が鎮もっている。この境内からは
横浜みなとみらいのランドマークタワーがよく見える。
大樹の下のベンチに腰を下ろしていると
心地よい風が吹いて来て、不如帰や鶯の鳴き声も
秋頃まで聞くことが出来る。
観音堂の裏手から先程の駐車場へ降りる迂回路があり
路の両側に著莪の花が一面に咲いている時期もある。
駐車場を抜け桜の広場を通り金剛寺へ続く小径が
ある。藪椿の枝を潜りながら下ってゆくと
黒揚羽が突然飛び出て来たり、烏瓜がぶら下がっている。
何より嬉しいのは冷え込んだ朝、霜柱が5cm程に
育ち、朝日に光っているのを見ることだ。
広場から金剛寺までは10分程度で降りてしまう。
ゆっくり歩いて全体で1時間半程度の吟行地である。
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