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中西主宰が選者にお招きいただいた、「羽黒山全国俳句大会」へ参加したメンバーの感想です。
2012/ 11/ 10
「第54回羽黒山全国俳句大会及び
図司呂丸顕彰俳句大会に参加して」
平野 皓
芭蕉が「奥の細道」で訪れた出羽三山は
多くの俳人に愛され、昭和31年に高浜虚子の
来山を機に、昭和34年から羽黒山全国俳句大会を
開催している。
本年からは、芭蕉を三山に案内し、句会も行った,
図司呂丸の功績を称えた図司呂丸顕彰俳句大会も
合わせて行われた。
10月13日の前夜句会は羽黒山山頂近くの斎館で、
嘱目吟2句出句と言うことで15時から行われた。
選者は行方克己先生、中西夕紀先生、
山形県俳人協会の阿部月山子会長、三井量光副会長
そして羽黒吟社の石井野州子会長の5人であった。
選者による選評の前に、出羽三山神社の緒方宮司と
宮野権宮司から、遠方からの参加者への御礼と
本大会の益々の発展を望む挨拶があった。
鶴岡市観光商工室の職員の方の司会で特選句、
秀逸句、佳作が発表された。
机には景品が山と詰まれていた。
何と有也さんの
月山やけふふたたびの秋の虹
の句が3人の選者の特選に選ばれた。
夏斗さんも秀逸2句佳作1句、そして田鶴さんも佳作に
選ばれ景品を頂いた。
緋の袴を穿いた綺麗な巫女さん二人がかいがいしく
景品を宮司さんに手渡していた。
神社と市の観光商工室の方々の行き届いた気配りで、
楽しい前夜句会であった。
翌日の本句会は「いでは文化記念館」で
8時30分から行われた。
会場に入ると壇上に1メートル近いトロフィーや
その他の景品が所狭しとならんでいた。
一方黒板に席題が書かれており、
「図司呂丸」または「呂丸」を入れて必ず1句、
季語として「葛の花」または「秋の声」で
1句提出とのことであった。
10時から宮司らの大会挨拶のあと、
角川学芸出版「俳句」の編集長の鈴木さんからの
挨拶があり、本大会が日本で一番古く、歴史のある
俳句大会であることを知った。
行方先生と中西先生による兼題の部の選評後に
参加者全員の記念撮影があった。
その後、句会場でお弁当が配られた。
お弁当は地元の季節の山菜が添えられたもので、
美味しくいただいた。
本大会に参加して出羽三山神社と鶴岡市の
本大会にかける並々ならぬ熱意と本大会を
発展させて行きたいとの強い思いが感じられた。
また、神社の皆様と市の観光商工室の皆様の
行き届いた気配りと熱い人情に触れることが
出来たことはとても嬉しい事であった。
帰宅後、中西先生から電話があり有也さんの
山の門に北の海あり葛の花
が、中西先生の特選に輝いたこと、満里さん、
明さんも賞を頂いたとのこと、
そして、私の
呂丸病む三山の葛翻り
を行方先生が呂丸賞特選に選んで下さったことを知った。
「羽黒山句会」
秋澤 夏斗
羽黒山句会のような大きな句会は初めての経験で、
緊張もあったが興味津々。寒雨の降る生憎の天気の中を
吟行する。
印象に残ったのは五重塔と杉の大木と法螺貝と梵天飾り。
前夜祭ではこの中から梵天と法螺貝を題材に投句。
秋霖の山に法螺の音ひびきけり
梵天は男の化身鬼胡桃
思いもかけず秀逸を頂き幾つかの賞品をゲット。
中でも選句者の銘の入った湯呑は良い記念となる品。
沢山の商品が大会を盛り上げたが
地方から参加した者にとっては山形の特産品に目が行く。
懇親会では地元の人を相手に山形の濁り酒を飲み交わす。
これが美味しくつい飲み過ぎてしまう。
本大会は二日酔いと不得意の席題で散々な結果であったが、
俳句の好きな人達と一緒に過ごした楽しく
有意義な三日間であった。

「羽黒山俳句大会について」
高木光香
「都市」会員の中で9名の参加だった。
皆で和気藹々と出羽の旅を楽しんだ。
印象に残った事を3つ程挙げてみる。
① 山伏の先導で、羽黒山参道2440段を50分程で登ったこと。
本物の山伏さんで大感激!!
法螺の音が元気を与えてくれ、一生懸命に登れた。
② 宿坊に泊まったこと。
月山の見える大広間に6つの枕を並べて寝るのは、
修学旅行以来で、懐かしい気持ちで胸キュンとなった。
そして爽やかな清々しい朝を迎えられた。
③ 虹をたくさん見れたこと。
1回目は鶴岡城跡までタクシーで行き降りた時に。
2回目は、朝食会場から。雨がちの3日間であり
ラッキーでした。それを有也さんは
月山やけふふたびの秋の虹 有也
と上手く作句し、さすが「都市」の重鎮であると
感心した。
「羽黒山俳句大会」
大木 満里
羽黒山神社斎館における前夜句会は、宮司さんと巫女さんが
中心になって進行されていた。
驚いたのは巫女さんたちも投句されていたこと。
いい句を作られ入選されていた。
これも大会の長い伝統をよく物語っていると思った。
本当に俳句が根付いているのである。
芭蕉は出羽三山を巡ったが、当地の俳人・呂丸とも交流があった。
みちのくの人たちの誇りの俳人なのだろう。
夜の交流会は、おいしい食事をいただき楽しいひとときを
すごした。
そのお心遣いに感謝している。
「羽黒山俳句大会」
井上 田鶴
迷った末の羽黒山行き、俳句大会ということで、
山形人の人情に触れる旅となった。
山伏姿のお出迎えと案内、石段登りを止めた私を
案内してくれた女性、集合に遅れそうな時
車で送ってくれた男性など暖かいおもてなしを受けた。
紅葉には少し早かったが、五重塔にまた会えた。
相変わらず美しかった。
また賞などというものに縁遠い私なのに佳作に
選ばれ記念の旅となった。
機会を与えてくださった中西先生に感謝

「 茸汁 」
砂金明
羽黒山俳句大会は俳句もさる事ながら、
美味しい食べ物に感動した2泊3日でした。
前夜句会の懇親会でいただいた精進料理の品数の多さ、
胡麻豆腐は絶品。深みのある濁り酒。
かまどうまも見学に来た翌日の茸づくしの朝食。
そして本大会昼に出された幕の内弁当、
鮭の包焼きの後ろに隠れていた、味噌を紫蘇でまいた
香ばしい一品は忘れられません。
お土産は山形特産の蕪の酢漬け、芥子茄子、
だだちゃ豆、麦焦がしを買い求めました。
雄大な庄内平野と鳥海山を一望して、
俳句を考えた斎館の朝は貴重な体験でした。
早立ちや両手に受くる茸汁 明
「羽黒山全国俳句大会に参加して」
盛田恵未
羽黒山全国俳句大会前夜祭の朝「都市」のメンバーは
羽黒山神社まで二四四六段ある杉並木の石階を
ひたすら上った。
山伏の法螺貝の先導に励まされ、時には道に咲く秋草
の名を教えあったりして。
山伏の修験道というだけあって、
どんなに登っても登っても頂上に着かない。
まさしく修行だった。
私は日ごろの怠惰な生活がたたり大汗がどっと出た。
ついでに心の垢も落としてもらったように、
羽黒山以来心身ともに軽くなった気がする。
今日まで足の筋肉痛もなく済んでいるのは、
きっと羽黒山から気を戴いたおかげだとおもう。
「都市」のメンバーは前夜祭では特選・秀逸・佳作を
次々にもらった (私以外)。
こういう舞台で力を発揮できるということは、日頃の
たゆまぬ努力の成果だと思う。改めて、自分の俳句に向かう
姿勢を反省させられた時だった。

「羽黒山全国俳句大会記」
森有也
第54回羽黒山全国俳句大会に「都市」中西主宰が
選者として参加されることになった。
考えてみれば、在郷の俳人図司呂丸の紹介で
芭蕉翁は羽黒山別当代会覚阿闍梨に謁し、
南谷に宿し本坊において俳諧興行、翁は大に感激
し呂丸に「不易流行」の考えを示す。
時代は下って、高浜虚子翁の来山を待って
現在の羽黒山全国俳句大会の前駆となす。
それ以来、半世紀余も途絶えることなく続く
伝統の俳句大会である。
これは、主宰にお供して是非とも由緒ある
俳諧の地をお尋ねしようと「都市」会員10名程は
奮い立ったのである。
前夜句祭当日、修験道者の法螺の音に導かれ
石段を辿るうちに、呂丸、芭蕉と同じ空気を
吸っている幸せに浸っていた。
句祭は夕刻を待って、別院あとの斎館にて開催。
昼間の幸せな気持ちのままに一句が自然と出来上がり、
思いもかけず特選の栄誉を頂いた。
月山やけふふたたびの秋の虹 有也
翌日は羽黒山山麓にて本大会。
残念ながら、事前投句に「都市」会員からは入選なし。
席題「図司呂丸・呂丸および葛の花・秋の声」には
昨日の二の坂と三の坂の間にある茶屋から眺めた景色を
一句に纏める事が出来た。
山の門に北の海あり葛の花 有也
当初の予定通りに午後の会は割愛して帰途に
ついたのであったが、「都市」からは上揚の句が特選、
皓さんの呂丸賞やその他の方の入選をお知らせ頂いた。
呂丸病む三山の葛翻り 皓
予測できなかった事とはいえ、せっかくの大会の
授賞式に欠席してしまい、本当に申し訳なく
お詫びの言葉もありません。
それにしても、勿体ないくらいの賞状,賞品に感動しきり。
大会のお世話を頂いた鶴岡市の方々や羽黒山の宮司の方々
巫女の方々のおもてなしに感激して、帰京してすぐに
「羽黒山思い出句会」を開いた。
一句だけ次に揚げたい。羽黒山の皆さんの温かい気持ちの
思い出に浸っている私達である。
神官の笑顔真中に秋日濃し 山荷葉
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